...その中に立てられた坊舎であるから...
中里介山 「法然行伝」
...平泉館一名奥御館(おくみたて)の外に清衡の築いた柳の御所、秀衡のいた伽藍(きゃら)の御所、後に義経が頼朝に追われて来て入った高館などの大建築があり、外に家の子郎党の屋敷が軒を並べ、西方には中尊寺、光堂(これは今でも残っております)南方には毛越(もうつ)寺などの巨刹(おおでら)があり、堂塔十、坊舎千という、今から想像もつかぬ繁昌でしたが、義経をかくまった為に、頼朝の怒を買い、文治五年(今から七百四十五年前)天下の軍勢を引受けて戦い破れ、兵火の為に、殆(ほとん)ど残るところなく焼かれてしまったのでした...
野村胡堂 「水中の宮殿」
...みずからその兄宮のいる東塔(とうとう)南谷の円融坊(えんゆうぼう)とよぶ坊舎の内を...
吉川英治 「私本太平記」
...坊舎の上に高々と...
吉川英治 「私本太平記」
...蔵王堂以下の坊舎から山門すべても炎となった...
吉川英治 「私本太平記」
...その山門も坊舎も...
吉川英治 「新書太閤記」
...根本中堂(こんぽんちゅうどう)をはじめ山王七社も東塔(とうとう)西塔の伽藍(がらん)も三千の坊舎(ぼうしゃ)も...
吉川英治 「新書太閤記」
...「――もしまた、命に従わねば、信長様にも、これまでとあって、根本中堂、山王七社、三千の坊舎、峰谷々をも焼きつくし、一山の輩(ともがら)、鏖殺(みなごろ)しになさるべしとの御決意である...
吉川英治 「新書太閤記」
...坊舎堂塔(ぼうしゃどうとう)...
吉川英治 「新書太閤記」
...また、山上の大講堂から、鐘楼(しょうろう)、法蔵、諸院の坊舎、宝塔、高塔、峰々谷々の末院坊舎にいたるまで、残された伽藍(がらん)というものは一つもなかった...
吉川英治 「新書太閤記」
...叡山の堂塔伽藍(どうとうがらん)から坊舎楼門(ぼうしゃろうもん)のすべてと山王七社までを一夜に焼き払ったという信長が――と...
吉川英治 「新書太閤記」
...坊舎(バウシヤ)...
吉川英治 「新書太閤記」
...天文年間の焼亡以前にはあったという二十坊舎の輪奐(りんかん)の美を完成するにはなお多大な普請(ふしん)を要するし...
吉川英治 「新書太閤記」
...坊舎で酒を醸酒(つく)っている...
吉川英治 「宮本武蔵」
...坊舎の荘厳に打たれたのである...
吉川英治 「宮本武蔵」
...食堂(じきどう)だのの堂塔のあいだを繞(めぐ)って坊舎からすこし離れると...
吉川英治 「宮本武蔵」
...坊舎(ボウシャ)山房皆切払イ損亡申ス計(バカ)リ無シと...
吉川英治 「宮本武蔵」
...光悦と妙秀尼は坊舎の方へ...
吉川英治 「宮本武蔵」
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