...それに対して各人は自ら探険していない地峡であり入江であるところのいくつもの大陸と海とがあるという事実...
ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 「森の生活――ウォールデン――」
...あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断(しゃだん)せられ...
寺田寅彦 「函館の大火について」
...もしかのレセップス氏が大計画なるパナマ地峡開鑿(かいさく)の業はたして氏が予期するところのもののごとく一八八九年に成就し...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...紅海からスエズ地峡を抜け...
野上豊一郎 「七重文化の都市」
...ポート・サイドまでスエズ地峡を船で通った...
野上豊一郎 「七重文化の都市」
...そこで太平洋汽船会社の別の船に乗替えてパナマに行って蒸汽車に乗てあの地峡を踰(こ)えて向側に出てまた船に乗(のっ)て丁度(ちょうど)三月十九日にニューヨークに着き……」...
服部之総 「咸臨丸その他」
...パナマ地峡開鑿(かいさく)の提案はすべてこれまで商民の偏狭な嫉妬心に妨げられて来た...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...しかしながら同じく汽船でスエズの地峡連絡を利用した英国のP&Oラインは...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...クリミヤ半島の基部ペレコープ地峡に位する要所...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli 平井肇訳 「ディカーニカ近郷夜話 後篇」
...蒸気車に乗(のっ)てあの地峡(ちきょう)を踰(こ)えて...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...ニュージーランドのマオリ人がクック地峡の赤い懸崖を古酋長の娘の死を嘆いて自ら石片で額を傷(やぶ)った血の染まる所と伝えるなど例多くタイラーの『原始人文篇(プリミチヴ・カルチュル)』一に載せ居る...
南方熊楠 「十二支考」
...船越村は釜石の北方約二十キロの地峡部にある村である...
武者金吉 「地震なまず」
...ベネズエラ湾からダリエン湾(ウラバ)を経てパナマ地峡に到った...
和辻哲郎 「鎖国」
...ニクエサは前年一五〇九年にパナマ地峡に於て難破し...
和辻哲郎 「鎖国」
...地峡の最も狭くなっているところであり...
和辻哲郎 「鎖国」
...後任者ペドロ・デ・ロス・リオスが既に地峡に上陸していた...
和辻哲郎 「鎖国」
...バルボアがエンシソの船で地峡方面へ入り込んだのは一五一〇年であるが...
和辻哲郎 「鎖国」
...ピサロのこの第一回航海はパナマ地峡に近いコロンビアの海岸をうろついただけであったが...
和辻哲郎 「鎖国」
便利!手書き漢字入力検索