...あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断(しゃだん)せられ...
寺田寅彦 「函館の大火について」
...しかしてひとたびスエズ地峡開鑿(かいさく)の大事業の一八六九年に成就したる以上はカルカッタはおろか東洋の極端なるわが日本にすら四十日内外にて達するを得べし...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...二汽車はイスマイリアまでは地峡の西岸を...
野上豊一郎 「七重文化の都市」
...レオン・チャグレス(パナマ地峡の向側の当時の港)およびパナマ」を新時代の世界商業および交通の重心地帯とするにいたるだろう――と彼は述べた...
服部之総 「咸臨丸その他」
...現在行われているパナマ地峡の連絡路によるときは...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...田保橋氏『外国関係史』を参照)(二) 合衆国が太平洋沿岸に広大なる植民地を獲得せし事(三) 該植民地に金鉱の発見せられし事(四) パナマ地峡の交通頻繁となりたる事...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...クリミヤ半島の基部ペレコープ地峡に位する要所...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli 平井肇訳 「ディカーニカ近郷夜話 後篇」
...アムラトは地峡(イスム)奪取の際...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...一五〇三年は彼が依然として右の如き信念の下に地峡の沿岸でインドへ出る海峡を探していた時なのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...同じ頃にディエゴ・デ・ニクエサがホンデュラス地峡よりダリエンまでのベラグワ地方を縄張りとしたのに対したのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...ベネズエラ湾からダリエン湾(ウラバ)を経てパナマ地峡に到った...
和辻哲郎 「鎖国」
...ニクエサは前年一五〇九年にパナマ地峡に於て難破し...
和辻哲郎 「鎖国」
...パナマ地峡が僅かに四...
和辻哲郎 「鎖国」
...六七十哩北方のカレタから地峡横断を試みた...
和辻哲郎 「鎖国」
...彼に代り地峡方面の総督となるべきペドラリアス・デ・アビラが任命され...
和辻哲郎 「鎖国」
...ピサロのこの第一回航海はパナマ地峡に近いコロンビアの海岸をうろついただけであったが...
和辻哲郎 「鎖国」
...地峡の対岸のノンブレ・デ・ディオスをも占領していたが...
和辻哲郎 「鎖国」
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和辻哲郎 「鎖国」
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