...一勇斎国芳(いちゆうさいくによし)の板物(はんもの)を一覧して筆を擱(お)かんとす...
永井荷風 「江戸芸術論」
...加ふるに昇亭北寿を以てすれば今や余す所のもの一勇斎国芳あるのみ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...浮世絵の人物画も山水画と共に一勇斎国芳を殿(しんがり)としてここにその終決を告げたり(国貞〈三世豊国〉の死は国芳に後(おく)るる事三年乃ち元治元年なり)...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞国芳らの描ける婦女は春信の女の如く眠気(ねむげ)ならず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞と国芳とは共に豊国歿後歌川派中の最も卓越せる画家にして...
永井荷風 「江戸芸術論」
...三以上述べたる国貞国芳国直ら豊国門下の画工にはまた更に無数の門弟の随従するあり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国芳の門下には芳虎(よしとら)芳年(よしとし)芳宗(よしむね)芳幾(よしいく)ら残存せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...明治年間の浮世絵は斯(かく)の如く北斎国芳国貞ら江戸時代の画工につきて親しくその薫陶(くんとう)を受けたる門人の明治に残りしもの相前後して不帰の客となるに従ひ一歩々々滅亡の期を早めたり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...明治の浮世絵は実に北斎国芳国貞らが制作の余勢に外(ほか)ならざる也(なり)...
永井荷風 「江戸芸術論」
...これに亜(つ)ぐものは国芳(くによし)が御厩川岸(おんまやがし)雨中の景なるべし...
永井荷風 「夕立」
...どうしても英泉か国芳の絵姿を思出さなくてはならない...
永井荷風 「来訪者」
...国芳(くによし)あたりまでが轡(くつわ)を並べているというわけだから...
中里介山 「大菩薩峠」
...国芳の家のそばにも手習師匠があった...
長谷川時雨 「大門通り界隈一束」
...暮春の月ゆらぐ天水桶に媚しいその面写して慨いてゐる国芳腐心の構図もあつた...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...……癇癪(かんしゃく)持らしく頬のこけたそのころ六十近い師匠の国芳は...
正岡容 「小説 圓朝」
...五枚――いままでの怠け放題怠けていたのを一挙に取り戻すかとばかり国芳は...
正岡容 「小説 圓朝」
...さっさと国芳お師匠(しょ)さんが引き取ってっておしまいなさるわけがない...
正岡容 「小説 圓朝」
...国芳門下に彩管を弄(もてあそ)んだありし日が立派にここでこう物をいっているのである...
正岡容 「我が圓朝研究」
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