...或ひは更に微細なる點まで區別して、篇首の三句と篇末の二句は夏の史官の辭ではあるが、その中の詳細なること、即ち治水の本末、山川草木、貢賦、土色、山脈、水脈、五服、四至、等の事項は史官が知り得べき處でないから、禹が天子に奏した事柄を史官が之を藏して居つたのに潤色を加へて本となつたのだといふ樣なことを宋儒が唱へた...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...禹貢が含んで居る材料は一、九州及び治水の本末、二、山川草木、三、土色、四、貢賦包、五、山脈、六、水脈、七、五服、八、四至、に分類することが出來る...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...この四至説も隨分種類が多い...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...これ等は四至に關する種々の異説で...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...要するに大いなる差のない時代に於て行はれたる各種の四至説たることは疑ふの餘地がない...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...四至(しし)というものを使っている...
柳田國男 「地名の研究」
...しかし越前石徹白(いしどしろ)村などでは今もってこれを四至で書いている...
柳田國男 「地名の研究」
...売買譲与の証文には四至(しし)と称して...
柳田國男 「地名の研究」
...売買にも譲渡にも四至と土地の種目と...
柳田國男 「地名の研究」
...単に寺の四至(しし)を細叙した記文である...
柳田國男 「地名の研究」
...四至(しいし)を定め地方官立会の上榜示(ぼうじ)を打ったのは...
柳田國男 「地名の研究」
...それは四至八道という対陣になっていた...
吉川英治 「三国志」
...田地四至の版図と住民の戸籍を併せて領するものなるに因(よ)つて...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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