...「不上酒閣(しゆかくにのぼらず)不買歌鬟償(かくわんをかはずつぐなふ)周文画(しうぶんのぐわ)筆頭水(ひつとうのみづ)墨余山(ぼくよのやま)」の詞(ことば)を寄せたるは...
芥川龍之介 「雑筆」
...周文圭の頸飾、襟のレース、それが拡大されてそこに在る...
豊島与志雄 「自由人」
...この周志淵の家に、周文圭がいた...
豊島与志雄 「自由人」
...日本側の民政上の意向を多少とも周文圭に話したので...
豊島与志雄 「自由人」
...恐らく周文圭は殺されずにすんだであろう...
豊島与志雄 「自由人」
...周文圭のことも忘れよう...
豊島与志雄 「自由人」
...俺はそこに周文圭とそれから松本千重子の面影を描き出して...
豊島与志雄 「自由人」
...青丹(あおに)よし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然(ほうねん)と親鸞(しんらん)とを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司(ちょうでんす)をも知らなかった十九世紀の英吉利(イギリス)生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と、増鏡磯吉の大神楽と、同じく勝代の綱渡りと、玉本梅玉の曲芸とを取って、以て日本の文明に評論を試みている...
中里介山 「大菩薩峠」
...巨勢(こせ)の金岡(かなおか)もあります、光長も、信実(のぶざね)もあります、土佐もあります、雪舟(せっしゅう)、周文、三阿弥(あみ)、それから狩野家にも古法眼(こほうげん)があります、その後に於ても探幽があり、応挙があり……」「そりゃ、もとより異論もあるだろう、永徳の日本一は、秀吉の日本一のような相場にはなっていないが、拙者は狩野永徳が日本に於て最大の画家であり、古今独歩の名人であることを信じて疑いません――まあ、お聴きなさい、拙者だって、意地でそんなことを言うわけではありません、今日まで、拙者の見たところ、測ったところを論拠として、それを言うのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...すでに、僞印譜とあるから、どれも一見して、僞印とわかる程度のものだが、古い所は、周文、雪舟、啓書記、秋月、雪村、また古法眼だの、山樂や永徳、文人畫の大雅、玉堂、木米、竹田、蕪村、崋山、四條派の應擧、呉春から明治の雅邦、芳崖にいたるまで、大家といふ大家の印で、ないものはない...
吉川英治 「折々の記」
...室町幕府の繪所だつた周文とか...
吉川英治 「折々の記」
...如雪(じょせつ)も周文(しゅうぶん)も雪舟(せっしゅう)も...
吉川英治 「新書太閤記」
...本阿弥(ほんあみ)の手紙を添えて置いて行った周文の軸を展(ひろ)げて...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...そして、いわゆる室町画壇の、如雪、周文、霊彩、啓書記(けいしょき)、雪舟、秋月などの巨匠を輩出し、戦国期にかけてもなお、雪村(せっそん)、友松(ゆうしょう)、等伯など、おびただしい水墨画の全盛期を見せた...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...雪舟も、周文も、赤脚子も啓書記も、玉(ぎょくえん)も、みな画師ではなく、禅僧だった...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...足利末期の周文とか芸阿弥...
吉川英治 「雪村筆「茄子図」」
...また心敬は、絵かきの周文を、最第一、二、三百年の間に一人の人とほめている...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...周文(しゅうぶん)は応永ごろの人であるが...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
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