...改まる年の初めの今日の日に向後(こうご)百年の将来のため災害防禦に関する一学究の痴人の夢のような無理な望みを腹一杯に述べてみるのも無用ではないであろうと思った次第である...
寺田寅彦 「新春偶語」
...『例といふ文字をば向後時といふ文字にかへて御心得あるべし』といふ意味の事を言つて居ります...
内藤湖南 「應仁の亂に就て」
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永井荷風 「書かでもの記」
...この禁令は元禄十七年(宝永元年)十二月二十八日ということで、その時の廻文に、「手紙ヲ以テ申入候、近年婚礼相済ミ候者、水振廻ノ祝儀ヲ為シ、近所ノ者寄リ集マリ、作法宜(よろ)シカラザル儀之(こ)レ有ル段相聞エ候、以後右ノ様子ノ族(やから)、之レ有ルニ於テハ、急度(きっと)、御吟味ヲ遂ゲラルベキ旨、仰セ出サレ候、向後、相慎シミ、作法宜シキ様ニ仕(つかまつ)ルベキ旨、御老中仰セ渡サレ候条、其ノ意ヲ得ラルベク候、以上」とあるによって見ると、この「水祝い」がかなり無作法なものになって、この慣例をいいことに、ずいぶん人に迷惑を及ぼす弊害が多かったものと見える...
中里介山 「大菩薩峠」
...もし向後(こうご)あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然(はんぜん)と分りそうにもない...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...向後父(ちゝ)の怒(いかり)に触れて...
夏目漱石 「それから」
...況(いわ)んや向後の作物が旧来の傾向を繰返(くりかえ)して満足せぬ限り...
「高浜虚子著『鶏頭』序」
...向後(かうご)に回復されべき欧洲の平和にも...
夏目漱石 「点頭録」
...さて吾々(われわれ)が眼前にこの二大区別を控えて向後我邦(わがくに)の道徳はどんな傾向を帯びて発展するだろうかの問題に移るならば私は下(しも)のごとくあえて云いたい...
夏目漱石 「文芸と道徳」
...向後吾人の受くる作物は...
夏目漱石 「文壇の趨勢」
...向後(こうご)一切付合(つきあい)をしちゃならないって仰(おっ)しゃったそうじゃありませんか」健三は自分の父と島田とが喧嘩をして義絶した当時の光景をよく覚えていた...
夏目漱石 「道草」
...向後(こうご)一切の関係を断つという事が古風な文句で書いてあった...
夏目漱石 「道草」
...先年松平新太郎因伯兩州領知之節相窺之伯州米子町人村川新兵衞大谷甚吉至レ今入二竹島一にて爲二漁獵一向後入島之義制禁可二申付一旨被二仰出一可レ存二其趣一恐惶謹言元祿九年子正月二十八日土屋相模守戸田山城守阿部豐後守大久保加賀守松平伯耆守殿宗對馬守義功より出たる家譜に元祿九年因幡國與(と)朝鮮國與(と)之間竹嶋與(と)唱(となへ)候嶋有レ之...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...向後の処置やあと始末などを計って...
吉川英治 「江戸三国志」
...向後(こうご)の作戦方針をのべた...
吉川英治 「三国志」
...向後の町の公役には...
吉川英治 「新書太閤記」
...向後(こうご)あの居候殿の放縦(ほうじゅう)も少し慎しむような方針をとるべく...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...大事の曙光(しょこう)に一抹(まつ)の黒き不安を捺(な)すってしまった! もし向後(こうご)渭山(いやま)の城に妖異のある場合はいよいよ家中の者に不吉を予感さするであろう...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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