...皇后を得られようとする御心がありました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...皇后のお口をお借りになって...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...すると皇后は、そのことをお聞きになって、ひどく怒(おこ)っておしまいになり、すぐに人をやって、黒媛(くろひめ)をむりやりに船からひきおろさせて、はるかな吉備(きび)の国まで、わざと歩いておかえしになりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...白い毛鞠(けまり)のやうな皇后の愛犬だつた...
薄田泣菫 「茶話」
...十月卅一日曇后晴...
種田山頭火 「行乞記」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...壁にはアレクサンドラ皇后とラスプーチンが交媾している戯画を大きく落書してあった...
久生十蘭 「淪落の皇女の覚書」
...后金聖を賽太歳から望まれたのである...
牧野信一 「闘戦勝仏」
...その一粒を皇后に含ませると直ぐに蘇生した...
牧野信一 「闘戦勝仏」
...※女王后を鈎召し得とあり...
南方熊楠 「十二支考」
...后いわく、爾々(しかじか)の夜王は蛇となって妾と会えりと...
南方熊楠 「十二支考」
...次の日は母后のため...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...几帳(きちょう)その他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐の后(きさき)の居室の飾りを模(うつ)して...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...后の宮様も六条院の御関係で御寛大に御覧くださるだろうと考えていたことですが...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...皇后手栽の松を記する本文に接して...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...この石は神功(じんぐう)皇后が三韓征伐のお帰りに...
柳田國男 「日本の伝説」
...太后(タイコウ)(桂昌院)マタ隆光ニ帰依(キエ)深シ...
吉川英治 「大岡越前」
...三人の佳麗な女囚の后(きさき)たちを分かち乗せて...
吉川英治 「私本太平記」
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