...ここに皇后に神懸りして神樣がお教えなさいましたことは...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...寒あけて后(のち)獺(かはをそ)のとりたる(さけ)を奪(うば)ひ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...前もって皇后に献上(けんじょう)しておきました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...光明皇后が百万塔を作られた...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...上は則ち神功皇后...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...まえの天皇の皇后を...
蜷川新 「天皇」
...二人の皇后のことは略したのである...
蜷川新 「天皇」
...「後生だからあたしを“皇后(ツァーリナ)さま”などと呼ばないでちょうだい...
久生十蘭 「淪落の皇女の覚書」
...三蔵の非行に擬するに刑法百十六条の「天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」とある法文をもってし...
穂積陳重 「法窓夜話」
...院の中では后の宮のほうへも...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...神功(じんぐう)皇后は神として奉祀(ほうし)され...
与謝野晶子 「「女らしさ」とは何か」
...皇后は怖れわなないて...
吉川英治 「三国志」
...――帝と皇后は、その施しでようやく、飢えと寒さから救われた...
吉川英治 「三国志」
...廟威(びょうい)の失墜を見ようとは……」共にすすり哭(な)く伏皇后の白い御頸(おんうなじ)に...
吉川英治 「三国志」
...后町(きさきまち)のどの妃の局へもお通いは見えなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...太后(生母桂昌院)マタ隆光ニ帰依(キエ)甚ダ深シ...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...なぜ光明后をモデルとしたというごとき伝説が生じたか...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...そうして当時の弥陀浄土への願望を代表していた光明后がその臨終の床に右のような画像を掛けさせたということもあり得た...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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