...しばらく西太后(せいたいこう)で持ち切っていたが...
芥川龍之介 「首が落ちた話」
...明日の午后(ひる)までだ』と...
大阪圭吉 「死の快走船」
...細(ほそ)き筧(かけひ)ありて后(うしろ)の山の清水を引き湯槽(ゆぶね)におとす...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...皇后はおあにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...お名まえを特に神功皇后(じんぐうこうごう)とおよび申しております...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...四月二十四日晴、后曇...
種田山頭火 「旅日記」
...彼の派からは、四十人の法王がいで、二百人の枢機官がいで、五十人の総主教と、千六百人の大司教と、四千六百人の司教と、四人の皇帝と、十二人の皇后と、四十六人の国王と、四十一人の王妃と、三千六百人の列聖者とが出ました...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...或は之を以て我神功皇后とし...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...皇后日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)が薨去せられた折に...
中山太郎 「本朝変態葬礼史」
...后金聖を賽太歳から望まれたのである...
牧野信一 「闘戦勝仏」
...最初に太后の御殿のほうへ見舞いに行ったのを...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...女の子は少なくて后(きさき)の競争に負け失意の人になっている女御(にょご)と恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...その中を、十常侍一派の張譲、段珪(だんけい)のふたりは、新帝と何太后と、新帝の弟にあたる協皇子――帝が即位してからは、陳留王(ちんりゅうおう)といわれている――の三人を黒煙のうちから救け出して、北宮翡翠門(ひすいもん)からいち早く逃げ出す準備をしていた...
吉川英治 「三国志」
...何太后は永安宮に押しこめ...
吉川英治 「三国志」
...帝劉禅(りゅうぜん)も皇后も日夜かなしみ嘆いていた折なので...
吉川英治 「三国志」
...みかどや准后(じゅんごう)のお覚(おぼ)えもよろしいが...
吉川英治 「私本太平記」
...いわゆる“お姉さん女房”の准后(じゅんごう)三位ノ廉子(やすこ)も...
吉川英治 「私本太平記」
...みかども准后の御方も...
吉川英治 「私本太平記」
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