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太宰治 「右大臣実朝」
...秀次は木食上人(もくじきしょうにん)に会うて涙に咽(むせ)び、われかゝる事のあるべきとは思いも寄らず、世にありし時心を附くる事もなくて、今更あさましゅうこそ候え、みずからが露の命、早や極(きわ)まり候えば、只今にも伏見より検使あらば自害すべし、亡からん跡は誰をか頼み申すべきと云いもあえず、ふたゝび涙を流したので、上人承り、御諚(ごじょう)にて候えども、此の山へお登りなされ候上はいかで御命に障り候べき、たとい太閤御憤り深くましますとも、当山の衆徒一同にて申し上げ、御一身を乞い受け奉るべしと云ったが、検使は福島左衛門大夫、福原右馬助、池田伊豫守を大将としてその勢五千餘騎、文禄四年七月十三日の申(さる)の刻に伏見を立ち、十四日の暮方(くれがた)に高野山へ着いて、上人を始め一山の老僧共の命乞いに耳を貸さず、青巌寺をひた/\と囲んだ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...関白殿の御事、北の政所(まんどころ)より仰せられ、御命ばかりはお助け申し上げようと様々にお骨を折られましたが、如何(いか)にしてもお赦しが出ず、検使のために福島左衛門大夫、福原右馬助、池田伊豫守の三人をお遣わしになりました、急ぎ最期の御用意をなされい、思し召し置く事も候わば、此の者に仰せ聞けられ候え、後々の御孝養(きょうよう)は懇(ねんごろ)に沙汰を致すでござろう、と云う口上である...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...ようやく右馬助(うまのすけ)に叙せられたのは...
堀辰雄 「ほととぎす」
...昔織田右馬助(おだうまのすけ)人の賄(まいない)を再三取った時信長が「銭ぐつわはめられたるか右馬助...
南方熊楠 「十二支考」
...ものなれた随身の男へさらに右馬助は渡して使いは出て行った...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...大仏陸奥守の一軍金沢右馬助の数千騎名越遠江守のそれにまさる一軍団...
吉川英治 「私本太平記」
...〔安芸守平ノ清盛〕叔父の右馬助忠正は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...右馬助忠正などは捕われていない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...十七年前に亡(うしの)うた子の右馬助家盛(うまのすけいえもり)に...
吉川英治 「源頼朝」
...右馬助がもし生きてありなばと...
吉川英治 「源頼朝」
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