...大日本地震史料によれば安永八年十月一日辛亥大隅國櫻島前夜より鳴動し地震ふこと強く、是日山巓兩中の地爆裂して火を噴き砂石泥土を迸流し山麓の諸里落是が爲めに蕩盡せられ人畜の死傷せるもの夥し是時島の近海に新嶼を生ぜり、後名けて安永島と謂ふとあり、當時の地變に死者合計百四十八人(内男八十二人、女六十六人)を出せり、梅園拾遺には今年(安永己亥)九月廿九日の夜より翌十月朔日南に當て雷の如くして雷にあらず(云 云)櫻島の南北端より火起り(乃 至)去年以來伊豆大島なども燒くる由沙汰せりとあり、又地理纂考には文明七年八月十五日野尻村の上より火を發し砂石を雨らし此邊凡て燃石なりとあり、是等の記事により察するに、安永八年の大噴火は新月の時に起り、文明七年及び今回の破裂は共に滿月の頃に起れり、而して安永及び文明の地變は共に北々東より南々西に走れる地盤の弱線即ち霧島火山脈の方向に活動を逞うしたるものの如く、主として災害を蒙りたるは北岸にては高免(コウメン)、白濱、南岸にては野尻、持木、湯之、古里、の諸部落なりしが、今回の變災は西々北より東々南の方向に走れる弱線に沿ひ暴威を振ひたるものの如く、新噴火口の位置を連結すれば正に此方向に一致し、又鹿兒島市及び其西北伊集院方面が地震最も強烈なりし事實に徴するも思半ばに過ぐるものあり、從て櫻島西岸に於て最も慘害を蒙りたるは横山、赤水、小池、赤生原、調練場の諸部落にして、東南岸に於て最も慘怛たる状況を呈せるは瀬戸、脇、有の諸部落なりとす...
石川成章 「櫻島噴火の概況」
...博多は、私の古里であり、博多にいる私の知己や友人のことを思い、心が痛んだ...
梅崎春生 「桜島」
...私は山奥の古里に...
太宰治 「惜別」
...汐の香のしみた私の古里へ私は帰ってゆくのだ...
林芙美子 「新版 放浪記」
...うらぶれて異土のかたいとなろうとも古里は遠きにありて思うもの……かつてこんな詩を何かで読んで感心した事があった...
林芙美子 「新版 放浪記」
...旅の古里ゆえ、別に錦を飾って帰る必要もないのだけれども、なぜか侘しい気持ちがいっぱいだった...
林芙美子 「新版 放浪記」
...小さい声で旅の古里でかつて聞いた事のある子守唄をうたっていた...
林芙美子 「新版 放浪記」
...美しい旅の古里へ帰ろう...
林芙美子 「新版 放浪記」
...古里から十五円ずつ送金してもらって...
林芙美子 「新版 放浪記」
...その女の眼には遠い古里と...
林芙美子 「新版 放浪記」
...古里なのですもの...
林芙美子 「新版 放浪記」
...古里から拾五円ずつ送金してもらって...
林芙美子 「放浪記(初出)」
...」古里はいゝナ――寝床のない女二月×日黄水仙の花には...
林芙美子 「放浪記(初出)」
...)又古里に散る藤の見えけんと言つても上の夢の説明ではありません...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...古里の蓬の香など匂ひ来よ松立つ街の青き夕ぐれ正月の街は松が立つてゐて外に色がない為何となく青味が勝つて見える...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...それは、彼の古里で、秋の收穫がをはらうとするとき、少女たちが野づらで歌ふ、古い、悲しい歌だつた...
ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 「旗手クリストフ・リルケ抄」
...器に私の古里を見ているのだ...
柳宗悦 「民藝四十年」
...一千五百里と見え――もちろんこれは古里(こり)の六町を一里とかぞえる大ざっぱな里程ではあるが――歩いての旅でも...
吉川英治 「私本太平記」
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