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石川啄木 「日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象」
...麻布(あざぶ)古川端(ふるかわばた)に浪居して天心独名流(てんしんどくめいりゅう)から更に一派を開きたる秋岡陣風斎(あきおかじんぷうさい)に愛され...
江見水蔭 「死剣と生縄」
...そうすると親分の側にいたあだ名をダニの丈次という三下奴が、「てめえ、なかなか近ごろの働きがいいで、木口親分のお覚えがめでてえ、じゃによってお余りを一皿振舞っておくんなさるから、有難くいたでえて、三べん廻ってそこで食いな」と言うと、古川の英次が、ペコペコと頭を下げて、「兄い、有難え、可愛がってやっておくんなせえ、じゃあ、遠慮なしにいただきやすぜ」と言って、古川の英次という三下奴が、木口親分から廻って来た食い残しのライスカレーみたような一皿を、ダニの丈次の手を通して押しいただき、ガツガツと咽喉(のど)を鳴らして、食いはじめました...
中里介山 「大菩薩峠」
...よんどころなく、古川が、「下駄っかけの兄い、お前(めえ)は江戸ッ子じゃなかったけエ」下駄っかけの時次郎が、正直そうにかぶりを振って、「おらあ、江戸ッ子じゃねえ、浜ッ子だ」「浜ッ子、そいつは知らなかった、お前は江州生れだったかいのう」と古川の英公がいう...
中里介山 「大菩薩峠」
...古川緑波・生駒雷遊...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...五月七日(木曜)四谷で、社長宛に、一、文芸部総長を坪内士行とし、その麾下に東宝劇団、古川一座、アトラクションの三部長を属せしめよ、古川一座は古川を文芸部長にするよりなし、一、今年はづーっと昼夜二回ばかりで労れてゐるから六月一日からの日劇は僕抜きにしてほしい事等を書く...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...古川緑波、エノケンを評して曰く、「ありゃあいゝ役者だ、うちへ来て役者をすりゃあいゝに」と...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...大勢人が待ってるのに、「古川さん」と、すぐに呼んで呉れるので大助かり...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...古川緑波(ろっぱ)も徳川夢声も高篤三も...
正岡容 「随筆 寄席風俗」
...この時古川緑波君...
正岡容 「わが寄席青春録」
...一体誰が囹圄(れいご)のお耳へ入れたのだ」「いや、加古川ノ宿には、こよい御父の後醍醐も、お泊りなりと、自然、ご存知あったらしく」「ばかな...
吉川英治 「私本太平記」
...すぐ先の加古川ノ宿にお泊りとか...
吉川英治 「私本太平記」
...加古川ノ宿まで用達しさ...
吉川英治 「私本太平記」
...加古川ノ宿で別れた権ノ五郎の家来十数名が先着していて...
吉川英治 「私本太平記」
...それ幸いと、加古川の辺りで、その女と、女の死ぬ年まで暮しましたがの、さて、過ぎ越し方をつらつらと憶(おも)うに、女ある道、女なき道、どう違いがあろうか、有るとしているのは仏者のみではございませんか...
吉川英治 「親鸞」
...この古川氏は、父が桟橋会社経営の初期には、波止場人夫の小屋を持って、振りの人夫売込みなどを業としていた人らしい...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...古川氏は、足もとの商品などは見てもくれず「いつから初めたのかね」と、ぼくの姿ばかり見ていた...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...そのうち彼は手を叩いてその故郷飛騨の古川地方に唄わるるという唄をうたい出した...
若山牧水 「みなかみ紀行」
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