...さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや...
芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」
...酒場の最も剛の者の御常連をも降参させるほど根を据えることもありうる...
ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 「森の生活――ウォールデン――」
...同時に二人あるいは三人の異性を恋い慕い得るという剛の者の存在をも私は聞き及んでいるからである...
太宰治 「チャンス」
...その幸福感を、翌る朝まで持ちこたえなければたまらぬという貪婪(どんらん)、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であった...
太宰治 「如是我聞」
...君たちは誰かからこのように言われると、ことに、私のように或る種の札(ふだ)つきみたいに見られている者から、こんなことを言われると、上品を装った苦笑を伴い、太宰先生のお説によれば、私は貪婪、淫乱、剛の者、大馬鹿先生の一人だそうであるが、などと言って軽くいなそうとする卑劣なしみったれ癖があるようだけれども、あれはやめていただく...
太宰治 「如是我聞」
...鎮西(ちんぜい)の剛の者磯貝平太の名は...
田中貢太郎 「轆轤首」
...彼も九州第一の名を取った剛の者...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこの真中で四人の剛の者が...
中里介山 「大菩薩峠」
...宇治山田の米友ほどの剛の者が...
中里介山 「大菩薩峠」
...汝は剛の者でわれを怖れぬ...
南方熊楠 「十二支考」
...潘璋(はんしょう)という剛の者があった...
吉川英治 「三国志」
...「黄忠ほどの剛の者が...
吉川英治 「三国志」
...――鬼をもひしぐ剛の者も...
吉川英治 「私本太平記」
...織田家の弓道槍術の師範で市川大介とよぶ剛の者の馬際(うまぎわ)へ鞍を駈け寄せ...
吉川英治 「新書太閤記」
...天正六年、初手(しょて)の中国入りに、別所家の剛の者、末石弥太郎(すえいしやたろう)の首をあげたときが、十八歳の初功名といわれているから、実際の場へのぞんでの強さも、当人の自慢するだけのものはあるらしい...
吉川英治 「新書太閤記」
...松井佐渡――と世間に謳(うた)われたほどの剛の者であったことは慥(たしか)であり...
吉川英治 「新書太閤記」
...三年間も勝ちつづけたという剛の者とあって...
吉川英治 「新・水滸伝」
...そのままらしい」「徳川随一の剛の者...
吉川英治 「宮本武蔵」
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