...しかも彼等は、平刑部卿忠盛が、弓を祇園の神殿にひきしより以来、平氏に対して止むべからざる怨恨を抱き、彼等の怨恨は、平氏の常に執り来れる高圧的手段によつて、更に万斛の油を注がれたるをや...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
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太宰治 「右大臣実朝」
...そもそも、父良持の死後、おれたち、幼いみなし子が、叔父共の手に、ゆだねられ、そして、おれが十六で、都へ追いやられたその時の大掾国香のたくみだの、国香が、貞盛にいいつけて、おれを、都にいるうち刺し殺してしまえといいつけていた内輪事まで、つつまず打ち明けねば、わかるまい」思いつつ、彼は、刑部卿だの、検非違使(けびいし)だの、別当だの、大中小判事などの公卿が衣冠をつらねている前では、思いの半分も、陳述できなかった...
吉川英治 「平の将門」
...清盛の父の刑部卿忠盛(ぎょうぶきょうただもり)が住んでいた土塀まわり小一町しかの古邸(ふるやしき)が...
吉川英治 「源頼朝」
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