...この仕事は六七日かかると言われた...
...六七日の旅行に行く予定だ...
...この課題は六七日以内に提出しなければならない...
...六七日間日本に滞在した...
...あの人は六七日も欠席するなんて信じられない...
...国へは十六七日頃立つつもりで居りますから...
伊藤野枝 「書簡 山田邦子宛」
...三十六七日で掘れる...
海野十三 「未来の地下戦車長」
...三七日 八月十三日四七日 八月二十日五七日 八月二十七日六七日 九月三日七七日 九月十日百ヶ日 十月三十一日これは當時谷口が僕に書いて渡しておいてくれた紙ぎれの寫しである...
小穴隆一 「二つの繪」
...六七日も風雨つゞきしうち...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...入浴(ふろ)は六七日目(にちめ)毎(ごと)に成(なる)たけ熱(あつ)からざる湯(ゆ)に入(い)るべき事(こと)...
關寛 「養生心得草」
...夜着(よぎ)は六七日(にち)毎(ごと)に干(ほ)すべき事(こと)...
關寛 「養生心得草」
...十六七日ごろまでにみなさま御あつまりでござりまして...
谷崎潤一郎 「盲目物語」
...もつともこの書は二十六七日間で出來た爲めに粗略なのであらうと云つてゐるが...
内藤湖南 「支那目録學」
...家馬ガ不快デ六七日逗留ヲシタイトイウカラ...
中里介山 「大菩薩峠」
...すでに十六七日目になる...
夏目漱石 「思い出す事など」
...あと六七日経たなければ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...然らば數多き東國の間を、如何なる徑路を傳はつて、此等新佛教の傳道者が鎌倉に向つたかと云ふに、それは王朝以來の東に向ふ大通りを進んだもので、近江の野路、鏡の宿より美濃の垂井に出で、それより箕浦を經て、尾張の萱津、三河の矢作、豐川と傳はり、橋本、池田より遠州の懸河を通り、駿河の蒲原より木瀬川、酒勾にかゝりて鎌倉に著したのである、即ち今の鐵道線路と大なる隔りはない、日數は日足の長い時と短い時とで一樣には行かぬが、冬の日の短き時には將軍の上り下りなどには、十六七日を要し、春の季や夏の日の長い時なれば十二三日位で達し得たのである、個人の旅行は行列の旅行よりも一層輕便に出來る點から考ふれば、いま少し短期で達し得る樣なものであるが、宿驛に大凡定まりあるが故に甚しき差異はなかつたらしい、それは東關紀行などに照らしても明かである、阿佛尼の旅行には十一月に十四日を費した、最もこれは女の足弱であるから例にならぬかも知れぬ、伊勢路即海道記の著者が取つた道筋は、山坂も險阻であるのみならず日數を費すことも多かつたところから、普通の人は皆美濃路を擇んだものと見える、而して淨土僧禪僧も皆此美濃路に出でたが爲、伊賀伊勢志摩の三國は京都に近き國々でありながら、鎌倉時代を終るまで殆ど新宗教の波動を受けなかつたと云つて差支ないのである...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...六七日の間はそっとして置いて...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...「土に埋めてどうするんだ」「こうやって六七日おくとね...
山本周五郎 「赤ひげ診療譚」
...六七日には出陣かと思う」「では籾摺りなどよりその御用意がさきでございます」「いや用意というほどのことはない...
山本周五郎 「日本婦道記」
...「――お可哀そうなお姉さま」二それから六七日のあいだ...
山本周五郎 「めおと蝶」
...松造が六七日おいては泊りに来た...
山本周五郎 「柳橋物語」
...――松造は六七日おきぐらいに来たけれども...
山本周五郎 「柳橋物語」
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