...「八十一歳の祖母がまだ元気です...
...「私の祖父は八十一歳で亡くなった...
...「八十一歳でもまだ現役で働いている人もいます...
...「八十一歳で健康診断を受けたところ、異常なしと言われました...
...「八十一歳でも新しい趣味を見つけることができます...
...私が今日八十一歳の長寿を保って居るが...
高浜虚子 「俳句への道」
...陳は後に八十一歳で亡くなったが...
田中貢太郎 「西湖主」
...延喜(えんぎ)八年に八十一歳を以て歿したのであるが...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...おわり奥書○右盲目物語一巻後人作為の如くなれども尤も其の由来なきに非ず三位中将忠吉卿御代清洲朝日村柿屋喜左衛門祖父物語一名朝日物語に云う「太閤ト柴田修理ト取合ハ其比威勢アラソイトモ云又信長公ノ御妹オ市御料人ノイハレトモ申ナリ淀殿ノ御母儀ナリ近江ノ国浅井カ妻ナリケル云々天下一ノ美人ノキコヘアリケレバ太閤御望ヲカケラレシニ柴田岐阜ヘ参リ三七殿ト心ヲ合セオイチ御料ヲムカエ取オノレカ妻トス太閤コノヨシ聞召柴田ヲ越前ヘ帰スマシトテ江州長浜ヘ出陣云々」又いう「柴田北ノ庄ヘコモラレケレバ太閤僧ヲ使トシイニシヘノ傍輩ナリ一命ヲ助ヘシ云々是ハスカシテオイチ御料ヲトラントノハカリコト成ヘシト其沙汰人口ニマチマチナリ」○佐久間軍記(佐久間常関物語)勝家祝言の条に云う「浅井長政ノ後室ヲ嫁二勝家一勝家其息女三人トモニ携越前ニ帰ルノ時秀吉走二勝家于使一曰於二帰国道一使二秀勝(信長四男秀吉養子)一饌膳祝儀ヲ可レ賀ト勝家慶テ約諾ス然シテ勝家ノ家人等北庄ヲ発清洲迄ノ行路ニ来迎勝家夜半ニ清洲ヲ出告二秀勝一曰越前ニ急用アルヲ以テ道ヲカネテ夜半ニ此前ヲ通ル間不レ能レ応レ招云々」○志津ヶ岳合戦事小須賀九兵衛話には清洲会議を安土に作る、当時「挨拶及相違て柴田と太閤互に怒をふくむ其時丹羽長秀太閤と一処に寐ころひ有しか長秀そと足にて太閤に心を付太閤被心得其夜大坂へ御かへり云々」佐久間軍記には「秀吉其夜屡小便ニヲクル」とあり然れどもこれらのこと甫庵太閤記等には見えず不審也○蒲生氏郷後室の墓は今京都の百万遍智恩寺境内に在り、寛永十八年五月九日於二京都一病没、行年八十一歳、法名相応院殿月桂凉心英誉清熏大禅定尼、秀吉此の後室の容顔秀麗なるを知り氏郷の死後迎えて妾となさんとしたれども後室これを聴かず、ために蒲生家は会津百万石より宇都宮十八万石に移さる、委しくは氏郷記近江日野町誌を可レ見○三味線は永禄年中琉球より渡来したること通説なれどもこれを小唄に合わせて弾きたるは寛永頃より始まる由高野辰之博士の日本歌謡史に記載あり尤も天文年中既に遊女の手に弄ばれたること室町殿日記に見え好事家は早くより流行歌に用いたる趣同じく右歌謡史に委し、此の物語の盲人の如きも好事家の一人たりし歟、予が三絃の師匠菊原検校は大阪の人にして今は殆ど廃絶したる古き三味線の組歌を心得られたるが其の中に閑吟集に載せたる「木幡山路に行きくれて月を伏見の草枕」の歌長崎のサンタマリヤの歌其の他珍しき歌詞少からず予も嘗てこれを聞きたることあり詞は短きようなれども同じ句を幾度も繰り返して唄い且三味線の合いの手は詞よりも数倍長し曲に依りては殆ど琵琶をきく如き心地す○かんどころのしるしに「いろは」を用いることはいつの頃より始まりしか不レ知今も浄瑠璃の三味線ひきは用レ之由予が友人にして斯道に明かなる九里道柳子の語る所也、本文挿絵は道柳子図して予に贈らる于時昭和辛未年夏日於高野山千手院谷しるす...
谷崎潤一郎 「盲目物語」
...しかもその時の『オーストリヤ』の天皇へいかは八十一歳といふ老人であつてその皇太子殿下をひじやうに力だのみにしてゐたからである...
土井八枝 「隨筆 藪柑子」
...漆山(うるしやま)氏の『浮世絵年表』に従へば菊川英山は慶応(けいおう)三年八十一歳にて歿したりといふ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...八十一歳の夏であったという...
中谷宇吉郎 「老齢学」
...天文四年すなわちその八十一歳の時に至るまで...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...八十一歳のペタン老首相が〈戦争をやめるようにつとめてみなくてはならない〉というべきところを...
久生十蘭 「だいこん」
...小勝の八十一歳の顔がとてもよかった...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...文久二年閏(うるふ)八月十八日に八十一歳で歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...薙染(ちぜん)後の称正宗院が八十一歳を以て丸山の家に歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...若くは四年八十一歳で歿したかと推測する...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...安政丙辰八十歳若しくは丁巳八十一歳であらうと言つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...伊沢本家では此年閏(じゆん)八月十八日に信全が八十一歳で歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...享年八十一歳である...
森鴎外 「栗山大膳」
...安永五年生で安政三年に八十一歳で歿した人だから...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...嘉永二年に八十一歳で歿したから...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
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