...貞元元年六月の地震は...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...延元元年から元中九年までが五十七年...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...元元金を拵へやうと言ふ頭でなつたんぢやないのですから...
談洲楼燕枝(二代) 「燕枝芸談」
...保元元年、法然二十四の年、叡空上人に暇を乞うて嵯峨(さが)の清涼寺(せいりょうじ)に七日参籠のことがあった...
中里介山 「法然行伝」
...承元元年三月十五日五十四の時出家を遂げて静心(じょうしん)と号した...
中里介山 「法然行伝」
...承元元年十二月八日勅免の宣旨が下った...
中里介山 「法然行伝」
...承元元年十二月八日符到奉行左大史小槻宿禰権右中弁藤原朝臣勅免があったとはいえ...
中里介山 「法然行伝」
...キリストの生れたのは紀元元年ではなく紀元前四年が正しいと今日では年代史的に訂正されて居り...
野上豊一郎 「処女の木とアブ・サルガ」
...唄わなくたって元元だが...
久生十蘭 「魔都」
...承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった...
三木清 「親鸞」
...建久四癸丑(みずのとうし)年に十九なら安元元乙未(きのとひつじ)年すなわち未歳生まれで寅歳でない...
南方熊楠 「十二支考」
...いわく、(延元元年正月、官軍三井寺(みいでら)攻めに)前々(せんぜん)炎上の時は、寺門の衆徒、これを一大事にして隠しける九乳(きゆうにゆう)の鳧鐘(ふしよう)も、取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり、この鐘と申すは、昔竜宮城より伝はりたる鐘なり、その故は承平の頃俵藤太秀郷(ひでさと)といふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多(せた)の橋を渡りけるに、長(たけ)二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、双(なら)べる角(つの)の尖(するど)にして、冬枯れの森の梢(こずえ)に異ならず、鉄(くろがね)の牙上下に生(お)ひ差(ちご)ふて、紅の舌炎(ほのお)を吐くかと怪しまる、もし尋常(よのつね)の人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、彼(かの)大蛇の背(せなか)の上を、荒らかに踏みて、閑(しずか)に上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、遥(はる)かに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然(こつぜん)として秀郷が前に来(きたつ)ていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今御辺(ごへん)ほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来(としごろ)地を争ふ敵あつて、動(やや)もすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺、我敵を討つてたび候へと懇(ねんごろ)に語(かたら)ひけれ、秀郷一義もいはず、子細あるまじと領状して、すなはちこの男を前(さき)に立て、また勢多の方へぞ帰りける、二人共に湖水の波を分けて水中に入る事五十余町あつて、一の楼門あり、開いて内へ入るに、瑠璃(るり)の沙(いさご)厚く、玉の甃(いしだたみ)暖かにして、落花自ずから繽紛(ひんぷん)たり、朱楼紫殿玉の欄干金(こがね)を鐺(こじり)にし銀(しろがね)を柱とせり、その壮観奇麗いまだかつて目にも見ず、耳にも聞かざりしところなり...
南方熊楠 「十二支考」
...俺は元元東京の人間ではない...
村山槐多 「悪魔の舌」
...正安四年(乾元元年)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...この延元元年の二月二十九日は...
吉川英治 「私本太平記」
...延元元年二月二十七日には...
吉川英治 「私本太平記」
...延元元年の三月一日――申(さる)ノ下刻(げこく)(午後五時)ごろ...
吉川英治 「私本太平記」
...ずっと後の延元元年...
吉川英治 「随筆 新平家」
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