...元亀(げんき)天正(てんしやう)の頃(ころ)なれば一国一城の主(ぬし)となる手柄(てがら)も難(かた)からぬが...
饗庭篁村 「隅田の春」
...くりくり坊主の桃川如燕(ももかわじょえん)が張り扇で元亀(げんき)天正(てんしょう)の武将の勇姿をたたき出している間に...
寺田寅彦 「銀座アルプス」
...その元亀天正群雄鹿を逐うのときにおいて多く徒賤より起こり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...元亀、天正に謳われた、薩摩隼人の意気を、今や、再び、天下に示す時だ...
直木三十五 「南国太平記」
...「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御着陣の処」ははあ...
中里介山 「大菩薩峠」
...考えて見ると、西郷も勝も偉かったものだ、維新の開幕は必ずしも二人だけがうった大芝居ではない、内外の情勢殊に英国公使あたりのにらみも大分きいて居たと云う事だが、然し何と云ってもあの場は二人の舞台である、もしかりにあの二人の大芝居がうちきれないで江戸の城下が火になると云う事になれば、東北の強みはぐんと増して来る、それから所在佐幕に同情を持つ諸藩の向背ががらりと変って来る、日本がまた元亀、天正以前の状態になる、幸に新政府が成立したからと云って、その政治の奔命に疲らされて革新の精力などは消磨されてしまう、そこへ外国の勢力が割込むと云う様な事になった日には維新の事業どころではない、国そのものが半属国のような運命に落込まないとは限らない、西郷と勝の二人ばかりが千両役者ではない、明治の維新と云うものは有ゆる方面の力によって達成されたには相違ないけれども、人物が、少くともあの場合この二人の立役者が人命を救い国の運命を救った、エライ人物が出ると云うことは或意味では国の不祥と云えるかも知れない、然し人物が無い為に国を誤るの不祥はそれより以上の不幸と云わなければならない...
中里介山 「百姓弥之助の話」
...元亀(げんき)天正(てんしょう)時代に...
蜷川新 「天皇」
...「元亀(げんき)天正のころは...
森鴎外 「阿部一族」
...」同じ銭屋の蔵本の中に又画一元亀の零本があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...ときは元亀(げんき)三年(一五七二)十二月二十一日黄昏(たそがれ)すぎのことであった...
山本周五郎 「死處」
...元亀三年十二月二十二日は...
山本周五郎 「死處」
...元亀三年十二月、三方ヶ原の一戦に敗れて以来、隠忍に隠忍を重ねてきた戦力が、今こそ燎原(りょうげん)の火と燃えあがったのだ...
山本周五郎 「日本婦道記」
...元亀(げんき)元年...
吉川英治 「新書太閤記」
...翌元亀(げんき)二年のときは宿将勝家(かついえ)が負傷し...
吉川英治 「新書太閤記」
...総じて徳川鎖国(さこく)主義以前の――元亀...
吉川英治 「新書太閤記」
...元亀年間に亘る時代には...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...フロイスがオルガンチノを京都へ迎え入れたのは一五七一年の一月一日(元亀元年十二月六日)で...
和辻哲郎 「鎖国」
...(イ)伝能因所持本の系統(前掲注2の表を参照)(ロ)安貞二年奥書き本の系統(ハ)前田家本(鎌倉中期以前のもの)の系統(ニ)堺(さかい)本(元亀(げんき)元年の奥書きあり...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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