...元亀二年五月、南部高信と戦ひこれを斬り、天正六年七月二十七日、波岡城主北畠顕村を伐ち其領を併せ、尋で近傍の諸邑を略し、十三年には凡そ津軽を一統し、十五年豊臣秀吉に謁せんとして発途せしも、秋田城介安倍実季、道を遮り果さずして還る...
太宰治 「津軽」
...元亀がんねんでござりますか...
谷崎潤一郎 「盲目物語」
...元亀天正以来の歴史と伝記の本で暗(そら)んじきっていることを...
中里介山 「大菩薩峠」
...「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御着陣の処」ははあ...
中里介山 「大菩薩峠」
...元亀天正ならば黒田如水軒...
中里介山 「大菩薩峠」
...考えて見ると、西郷も勝も偉かったものだ、維新の開幕は必ずしも二人だけがうった大芝居ではない、内外の情勢殊に英国公使あたりのにらみも大分きいて居たと云う事だが、然し何と云ってもあの場は二人の舞台である、もしかりにあの二人の大芝居がうちきれないで江戸の城下が火になると云う事になれば、東北の強みはぐんと増して来る、それから所在佐幕に同情を持つ諸藩の向背ががらりと変って来る、日本がまた元亀、天正以前の状態になる、幸に新政府が成立したからと云って、その政治の奔命に疲らされて革新の精力などは消磨されてしまう、そこへ外国の勢力が割込むと云う様な事になった日には維新の事業どころではない、国そのものが半属国のような運命に落込まないとは限らない、西郷と勝の二人ばかりが千両役者ではない、明治の維新と云うものは有ゆる方面の力によって達成されたには相違ないけれども、人物が、少くともあの場合この二人の立役者が人命を救い国の運命を救った、エライ人物が出ると云うことは或意味では国の不祥と云えるかも知れない、然し人物が無い為に国を誤るの不祥はそれより以上の不幸と云わなければならない...
中里介山 「百姓弥之助の話」
...」同じ銭屋の蔵本の中に又画一元亀の零本があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「画一元亀は趙宋の書にして唐代のものにはあらず」と云つてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...ときは元亀(げんき)三年(一五七二)十二月二十一日黄昏(たそがれ)すぎのことであった...
山本周五郎 「死處」
...元亀天正の乱世に...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...元亀天正の昔に生を稟(う)けていたならば...
夢野久作 「近世快人伝」
...なお、林崎甚助自身は、各地を遊歴して、自然、門流のひろまる一方、後年またさらに、鹿島神宮の武林(ぶりん)に入って、天真神道流の研鑽(けんさん)に身をゆだね、元亀何年かには、越後の上杉謙信の幕将、松田尾張守に随身して、戦場をも馳駆したらしいが、謙信の歿後(ぼつご)は、杳(よう)として、その足蹟も定かでない...
吉川英治 「剣の四君子」
...ことしの正月は元亀(げんき)二年であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...元亀(げんき)三年の春は迎えられた...
吉川英治 「新書太閤記」
...総じて徳川鎖国(さこく)主義以前の――元亀...
吉川英治 「新書太閤記」
...――云いかえれば、彼は、元亀、天正のあとに生れた当時の“戦後派”の青年のひとりだったともいえるであろう...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...元亀天正の兵乱は漸く白熱点に達して来たのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...(イ)伝能因所持本の系統(前掲注2の表を参照)(ロ)安貞二年奥書き本の系統(ハ)前田家本(鎌倉中期以前のもの)の系統(ニ)堺(さかい)本(元亀(げんき)元年の奥書きあり...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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