...アコスタ等エズイット派の僧侶が本国に寄せた天文十八年(エズイット派が初めて渡来した年)から元亀二年(南蛮寺創設後三年)までの通信八十八通を集めたもので...
内田魯庵 「灰燼十万巻」
...徳川氏の天下は元亀(げんき)・天正(てんしょう)の胎内より出で来たりたるものなり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...その元亀天正群雄鹿を逐うのときにおいて多く徒賤より起こり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...武者ぶりは……」「天晴天晴(あっぱれあっぱれ)――元亀天正時代ならば押出しだけで差当り五百石の相場はある」丸山勇仙がほめる...
中里介山 「大菩薩峠」
...元亀天正ならば黒田如水軒...
中里介山 「大菩薩峠」
...いずれ元亀天正以来の大名小名で...
中里介山 「大菩薩峠」
...元亀天正の生残りといった体(てい)で...
久生十蘭 「ひどい煙」
...又医書一巻元亀の古鈔本にて末云(すゑにいはく)「耆婆宮内大輔施薬大医正五位上国撰」とあり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」同じ銭屋の蔵本の中に又画一元亀の零本があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「画一元亀は趙宋の書にして唐代のものにはあらず」と云つてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...ときは元亀(げんき)三年(一五七二)十二月二十一日黄昏(たそがれ)すぎのことであった...
山本周五郎 「死處」
...元亀三年十二月二十二日は...
山本周五郎 「死處」
...永禄十一年から元亀(げんき)元年にわたるあいだ...
吉川英治 「上杉謙信」
...なお、林崎甚助自身は、各地を遊歴して、自然、門流のひろまる一方、後年またさらに、鹿島神宮の武林(ぶりん)に入って、天真神道流の研鑽(けんさん)に身をゆだね、元亀何年かには、越後の上杉謙信の幕将、松田尾張守に随身して、戦場をも馳駆したらしいが、謙信の歿後(ぼつご)は、杳(よう)として、その足蹟も定かでない...
吉川英治 「剣の四君子」
...総じて徳川鎖国(さこく)主義以前の――元亀...
吉川英治 「新書太閤記」
...元亀(げんき)元年...
吉川英治 「新書太閤記」
...元亀年間に亘る時代には...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...元亀天正の兵乱は漸く白熱点に達して来たのである...
和辻哲郎 「鎖国」
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