...元亀二年五月、南部高信と戦ひこれを斬り、天正六年七月二十七日、波岡城主北畠顕村を伐ち其領を併せ、尋で近傍の諸邑を略し、十三年には凡そ津軽を一統し、十五年豊臣秀吉に謁せんとして発途せしも、秋田城介安倍実季、道を遮り果さずして還る...   
太宰治  「津軽」 
...その元亀天正群雄鹿を逐うのときにおいて多く徒賤より起こり...   
徳富蘇峰  「将来の日本」 
...元亀、天正に謳われた、薩摩隼人の意気を、今や、再び、天下に示す時だ...   
直木三十五  「南国太平記」 
...「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御着陣の処」ははあ...   
中里介山  「大菩薩峠」 
...又医書一巻元亀の古鈔本にて末云(すゑにいはく)「耆婆宮内大輔施薬大医正五位上国撰」とあり...   
森鴎外  「伊沢蘭軒」 
...」同じ銭屋の蔵本の中に又画一元亀の零本があつた...   
森鴎外  「伊沢蘭軒」 
...元亀三年十二月二十二日は...   
山本周五郎  「死處」 
...元亀三年十二月、三方ヶ原の一戦に敗れて以来、隠忍に隠忍を重ねてきた戦力が、今こそ燎原(りょうげん)の火と燃えあがったのだ...   
山本周五郎  「日本婦道記」 
...元亀天正の乱世に...   
夢野久作  「梅津只圓翁伝」 
...元亀(げんき)三年の春は迎えられた...   
吉川英治  「新書太閤記」 
...総じて徳川鎖国(さこく)主義以前の――元亀...   
吉川英治  「新書太閤記」 
...「横川の和尚とは、叡山の亮信阿闍梨(りょうしんあじゃり)のことではないか」「さようでございます」「すぐる歳(とし)、元亀二年の秋、叡山(えいざん)焼打の折には、この光秀も一手の先鋒(せんぽう)を命ぜられ、山上の根本中堂、山王二十一社、そのほかの霊社仏塔、悉(ことごと)くを焔(ほのお)となし、刃向う僧兵のみか、稚子(ちご)上人(しょうにん)、凡下(ぼんげ)高僧、老幼男女のさべつなく、これを斬って、火に投じ、ふたたびこの深山(みやま)には、人はおろか、草木の芽も出まじと思わるるほど、掃滅殺戮(そうめつさつりく)のかぎりを為(な)し尽したが……もういつしかそこには、また生き残りの法師たちが帰って来て、生きる道を求めておるとみゆるの」「さればです...   
吉川英治  「新書太閤記」 
...そのうちにあの元亀二年の兵燹(へいせん)で...   
吉川英治  「新書太閤記」 
...苛烈(かれつ)なる永禄(えいろく)、元亀(げんき)、天正(てんしょう)の世にかけて、彼女も良人に遅れぬものを日々に学んでいたのである...   
吉川英治  「新書太閤記」 
...元亀の戦国初期になると...   
吉川英治  「随筆 宮本武蔵」 
...元亀年間に亘る時代には...   
吉川英治  「随筆 宮本武蔵」 
...信長は元亀二年(一五七一年)に秀吉を通じて二百目玉の大筒を...   
和辻哲郎  「鎖国」 
...(イ)伝能因所持本の系統(前掲注2の表を参照)(ロ)安貞二年奥書き本の系統(ハ)前田家本(鎌倉中期以前のもの)の系統(ニ)堺(さかい)本(元亀(げんき)元年の奥書きあり...   
和辻哲郎  「日本精神史研究」 
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