...これに似(に)た觀察(かんさつ)は阿蘇山(あそざん)の嘉元三年(かげんさんねん)三月三十日(さんがつさんじゆうにち)(西暦(せいれき)千三百五年(せんさんびやくごねん)五月二日(ごがつふつか))の午後四時頃(ごごよじごろ)...
今村明恒 「火山の話」
...「去にし安元三年四月二十八日かとよ...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...山内元三郎らをはじめ...
中里介山 「大菩薩峠」
...最後に承元三年六月十九日沙門源空と署名している...
中里介山 「法然行伝」
...朱子はよく『参同契』を読んだ人で、慶元三年、蔡元定と寒泉精舎に宿して、夜『参同契』を論じたことが、「朱子年譜」に残っている...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...紀元三世紀に入ると...
野上豊一郎 「パルテノン」
...元三大師の有難い御神籤さ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...元三大師(がんざんだいし)の御神籤には忌日(きにち)があるものだ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...元三大師の御籤(おみくじ)には忌日(きにち)があるものだ...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...『松屋筆記』六五に『二十二史箚記(さっき)』三十巻、元の順帝の至正十一年、〈韓山の童倡(とな)えて言う、天下大いに乱れ、弥勒仏下生すと、江淮(こうわい)の愚民多くこれを信ず、果して寇賊蜂起し、ついに国亡ぶるに至る、しかるにこの謡は至正中より起るにあらざるなり、順帝の至元三年、汝寧(じょねい)より獲るところの捧胡を献ず、弥勒仏小旗、紫金印の量天尺あり、而して泰定帝の時、また先に息州の民趙丑斯(ちょうちゅうし)、郭菩薩等あり、謡言を倡え、弥勒仏まさに天下を有(も)つべしという、有司以て聞す、河南行省に命じてこれを鞫治(きくち)せしむ、これ弥勒仏の謡すでに久しく民間に播(ま)くなり、けだし乱の初めて起る、その根株を抜かず、ついに蔓延して救うべからざるに至る、皆法令緩弛の致すところなり云々〉...
南方熊楠 「十二支考」
...紀元三九八年カルタゴの耶蘇徒に新婚の夜...
南方熊楠 「十二支考」
...そしてその老女が新原元三郎という人の妻だと云った...
森鴎外 「細木香以」
...弘法大師や元三大師などの話に結びつけている...
柳田国男 「故郷七十年」
...『嚢抄(あいのうしょう)』に「元三のお薬温むたたらなどは世の始めの物なりしが云々」とあり(和訓栞)...
柳田國男 「地名の研究」
...または元三大師(がんさんだいし)や角大師(つのだいし)を想像していたのも...
柳田国男 「年中行事覚書」
...足許に気がつくと柱の根元三寸程の所塀に密接して...
山下利三郎 「誘拐者」
...明けて延元三年のこの一月は...
吉川英治 「私本太平記」
...懐奘を首座(しゅそ)に請じたのは道元三十七歳の暮れであるが...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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