...奸譎なる者の阿諛便佞か――阿諛便佞を通じたる利己かである...
阿部次郎 「三太郎の日記 第三」
...何を演(や)つてゐても如何にも小心な他人の気持ばかりを覗(うかが)つてゐるやうな佞奸邪智(ねいかんじゃち)と云つた感じを強く与へます...
伊藤野枝 「サニンの態度」
...直に佞臣汚吏を斥けて...
大町桂月 「宗吾靈堂」
...胤長さまのお屋敷は、さらに左衛門尉義盛さまからお取上げに相成り、相州さまがあづかる事になつて、和田さま御一族がそのお屋敷に移り住んで居られたのを、相州さまの御家来衆が力づくで追ひ立てたとか、左衛門尉義盛さまは悲憤の涙を流して、長生きはしたくないもの、さきに上総の国司挙任の事を再三お願ひ申し、しばらく待てとの将軍家よりの内々のお言葉もあり、慎んで吉報をお待ちしてゐたのに、一年待ち、二年待ち、三年待つても音沙汰無きゆゑ、さつぱりと諦らめて一昨年の暮、かの陳情書を御返却たまはるやう四郎兵衛尉をして大官令にお取りなしのほどをお願ひ申し上げさせたところ、将軍家に於いては、そのうち、よきに取りはからふつもりであつたのに、いままた勝手に款状の返却を乞ふとは、わがままの振舞ひ、と案外の御気色の仰せがあつたとか大官令よりの御返辞、思へばあの頃より、この左衛門尉のする事なす事くひちがひ、さきほどは一族九十八人、御ところの南庭に於いて未聞の大恥辱を受け、忍ぶべからざるを忍んでせめて一つ、胤長の屋敷なりともと望んで直ちに御聴許にあづかり、やれ有難や少しく面目をとりかへしたぞと胸撫でおろした途端に、このたびの慮外の仕打ち、あれと言ひ、これと言ひ、幕府に相州、大膳大夫の両奸蟠踞するがゆゑなり、将軍家の御素志いかに公正と雖も、左右に両奸の侍つてゐるうちは、われら御家人の不安、まさに深淵の薄氷を踏むが如きもの、相州の専横は言ふもさらなり、かの大膳大夫に於いても、相州または、さきの執権時政公のかずかずの悪事に加担せざるはなく、しかも世の誹謗は彼等父子にのみ集めさせておのれは涼しい善人の顔でもつぱら一家の隆盛をはかり、その柔佞多智、相州にまさるとも劣らぬ大奸物、両者を誅すべきはかねて天下の御家人のひとしくひそかに首肯してゐるところ、わが一族の若輩の切歯扼腕の情もいまは制すべきではない、老骨奮起一番して必ずこの幕府の奸を除かなければならぬ、といふやうな、悲壮にも、また一徹の、おそろしい御決意をここに於いて固められたのだと、のちのちの取沙汰でございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...自己に佞らないこと欣求三条一...
種田山頭火 「其中日記」
...是れ必らず佞者の妖言にして...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...阿媚(あび)と諂佞(てんねい)を捧げるものはありません...
中里介山 「大菩薩峠」
...残るは便佞(べんねい)の者ばかり...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...佞人(ねいじん)楊再思が追従して...
南方熊楠 「十二支考」
...極端なる弱蟲卑怯者佞人惡人の二派に分ける慣習があるので...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...奸佞(かんねい)を駆逐し...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...吾人たとひ好む所に佞する者に非るも彼の為めに冤(ゑん)を解かざるを得ざる也...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...無能で佞智(ねいち)ばかりもつ賄賂(わいろ)好きな役人...
吉川英治 「大岡越前」
...京極丹後守の指南番大月玄蕃が宿の妻に出世するのじゃ――満更そちに酷(むご)い為業(しわざ)でもあるまいがの」と千浪の側へ佞媚(ねいび)の顔をすり寄せて来た...
吉川英治 「剣難女難」
...案(あん)の定(じょう)大月玄蕃の間諜(まわしもの)でござった」「さてはさすが佞智(ねいち)の玄蕃めも...
吉川英治 「剣難女難」
...「汝のような腐敗した佞吏(ねいり)がいるから...
吉川英治 「三国志」
...佞奸(ねいかん)の眼から見れば甘い...
吉川英治 「源頼朝」
...是の故に夫(かの)佞者(くちさときもの)を悪む...
和辻哲郎 「孔子」
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