...作州津山に旅をしましたが...
薄田泣菫 「詩集の後に」
...山にも失望し、女にも失望した大観は、翌(あく)る朝(あさ)夙(はや)く宿を発(た)つて山越(やまごし)に、作州の方へ出た...
薄田泣菫 「茶話」
...もしか作州の方へ落ちたら大観が後悔する...
薄田泣菫 「茶話」
...大観は宇宙の謎を解きかねた哲学者のやうな顔をして作州の町へ下りて来た...
薄田泣菫 「茶話」
...作州の津山から九里ばかり山奥へはいったところに向湯原村というところがありまして...
太宰治 「黄村先生言行録」
...作州の山には高山植物があるんだろう」「へえ...
正宗白鳥 「入江のほとり」
...わざわざ作州の山中から出て来はしなかったと云ってね...
松崎天民 「友人一家の死」
...作州より三十里川舟にて岡山へ参...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...作州那岐山(なぎのせん)の麓(ふもと)...
柳田国男 「山の人生」
...作州街道をヒタ急ぎに...
吉川英治 「私本太平記」
...現今でも、作州街道の佐用、江見村、勝間田、そして富川(とがわ)(現・津山市)への道筋には、昔ながらの、後醍醐帝御駐輦(ごちゅうれん)ノ跡(あと)なる名所や遺蹟の碑が、いたるところに残っている...
吉川英治 「私本太平記」
...そんなものだ」「作州の宮本村と申しましたか...
吉川英治 「宮本武蔵」
...神罰をうくるものなり慶長九年除夜平安 吉岡拳法二代清十郎作州牢人宮本武蔵殿「ム...
吉川英治 「宮本武蔵」
...自分と彼とは郷里も同じ作州であるが...
吉川英治 「宮本武蔵」
...おねがい申上げおきそろ作州吉野郷士本位田後家 すぎ自分の骨の届け先にまで心が届いていた...
吉川英治 「宮本武蔵」
...作州の家へ帰っても...
吉川英治 「宮本武蔵」
...「お召しに依って」と、武蔵が――これは先方が威儀作ろうと否とにかかわらず――長者に対するいんぎんな礼を執(と)って、ひたと、平伏しながら、「作州牢人、新免氏(しんめんし)の族、宮本無二斎がせがれ武蔵と申しまする者、将軍家御内意の趣に、御城門先までまかり出でましてござります」忠勝は、肥えたふたえ顎(あご)を、小さく何度も頷(うなず)かせて、「大儀、大儀でおざった」と、受けた...
吉川英治 「宮本武蔵」
...作州牢人のひとり――今では細川家の馬廻役(うままわりやく)をいたしておるもので」と...
吉川英治 「宮本武蔵」
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