...この湖州大久保余所五郎(おほくぼよそごらう)なるものは征夷大将軍徳川家康と処世訓の長短を比べてゐる...
芥川龍之介 「大久保湖州」
...モウ一週間も其余も病んでゐたものの様に見えた...
石川啄木 「鳥影」
...余は遂に何ものをも書かなかったように思う...
高浜虚子 「子規居士と余」
...余はその頃国語の先生が兼好法師の厭世(えんせい)思想を攻撃したのが癪(しゃく)に障ってそれを讃美するような文章を作って久保君に渡したことなどを記憶している...
高浜虚子 「子規居士と余」
...それから半年余りの楽しかった夢を繰り返していた...
徳田秋声 「新世帯」
...それを重宝がりお礼に金を余分に包んだり...
徳田秋声 「縮図」
...その間に僅かに身を入れる位の余地があった...
豊島与志雄 「少年の死」
...余人ならぬ拙者に斬ってかかるというのはわからない...
中里介山 「大菩薩峠」
...金銭の余裕があるべくもない者の身で...
中里介山 「大菩薩峠」
...余の枕元は隣の間を仕切る襖(ふすま)で半(なかば)塞(ふさ)いであった...
夏目漱石 「思い出す事など」
...この妙な紙の上端余白に46という数字が打たれています...
フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳 「ギルレイ」
...妻の律(りつ)とは十六年の余もいっしょに暮し...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...あのような品位ある能楽師を余はまだ嘗(かつ)て見た事がない」という話柄が今日に伝わっている...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...ほか十指にも余るお味方武門が...
吉川英治 「私本太平記」
...おそらくは首尾両端の苦戦を途上で余儀なくされよう...
吉川英治 「私本太平記」
...六十余間(けん)俄に潰(つひ)えて落ち重なり死者百余人傷者は数も知れずとは諸書の実録だが...
吉川英治 「私本太平記」
...総人数一万余という...
吉川英治 「新書太閤記」
...しかも、その三百余は、ただの一人でも、ぜひなく従(つ)いて来たものではない...
吉川英治 「源頼朝」
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