...邦人和田延太郎とともに上海へむけて出発したのが二十三日で...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...廿四日、癸卯、晴、将軍家先生の御住所医王山を拝し給はんが為、渡唐せしめ給ふ可きの由、思食し立つに依りて、唐船を修造す可きの由、宋人和卿に仰す、又扈従の人六十余輩を定めらる、朝光之を奉行す、相州、奥州頻りに以て之を諫め申さると雖も、御許容に能はず、造船の沙汰に及ぶと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...宋人和卿唐船を造り畢んぬ...
太宰治 「右大臣実朝」
...それともう一人和田千之助と云う武士が扈従(こじゅう)して奥州へ落ち行き...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...書肆春陽堂主人和田利彦と余とを加へて十一人なり...
永井荷風 「鴎外全集刊行の記」
...春陽堂主人和田氏来りて旧著の再梓を請ふ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...春陽堂主人和田氏年賀に来る...
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 「断腸亭日乗」
...堺(さかひ)の町人和泉屋皆吉(いづみやみなきち)といふ男が...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...家人和合の幸福は固より望む可らず...
福沢諭吉 「新女大学」
...江戸八笑人和合人の文明をそつくり再現したやうなリファインされたものであつた...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...未だ未だ東京市井の住民の中には八笑人和合人の精神を身に付けてゐるもののあることを思考して頗るたのもしくおもはないわけには行かなかつた...
正岡容 「東京万花鏡」
...世人和田義盛の墳なりといふ碑に天正十九年の字あり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...訣傅女乳人和歌一首...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...和泉国の御家人和田修理ノ亮(すけ)助家茅破屋(ちはや)(千早)の大手矢倉下の岸を掘るの時...
吉川英治 「私本太平記」
...長崎人和田理左衛門や日本婦人ウルサンの斡旋によって...
和辻哲郎 「鎖国」
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