...京師に祝融の災あり...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...それ等の文書に記されてある年號もまた元よりそのまま肯定することは出來ないにしても元龜年間京師に上り...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...京師にて大成すべし...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...また天下の奇材異能を京師に貢じ...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...京師学校の論また奇ならずや...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...京師では、勤王、倒幕の説が、盛んだと、申すではないか」「よりより聞いておりますが――」「何んと思うな?」「浪人共の、不逞(ふてい)の業と、心得まする」「そうかのう」名越が「寛之助様、御逝去の砌(みぎ)り――」と、いい出すと同時に、斉彬は膝の前の銃を取上げて「これが、村野、エンピールじゃ」「はっ、エンピール銃」「うん――今までのエンピールは、先籠めであったが、今度のは、改良して、元籠めになった...
直木三十五 「南国太平記」
...重役共が、己のために、斉興を立てて――父の命が、何年あると思うか? それだけの間小康を得て、何になるか?――兄の仕事を、こわして、それで、兄の蒔いた種までが、枯れるとでも、考えているのか?)久光は、重役とか、上士とかの人々の、あせり方と、軽輩が、斉彬の死後、何一ついわず、何一つせず――そして、ひそかに、脱藩して、京師へ、江戸へ、行くのを見ていると(世の中も、ちがってきたが、お国風もちがってきた)と、感じない訳には、行かなかった...
直木三十五 「南国太平記」
...久七峠の上の、茶店に、七八人の若者が――それは、脱藩をして、江戸へ、益満等と共に、行を同じゅうせんとする人と、京師へ出て、諸国有志と、提携しようとする人と、そうして、見送りに来た人と――「爺は、いつも変らぬのう」「はい――」「婆は、何うした?」「あれは、半年ばかし前に、亡くなりましてな」「そうか、死んだか――」「いつだったか、矢張り、貴下方みたいな方が、この先で、斬合いをなされましたが、今日も、何か――」若い人々は、眼を見合せて「牧を、討ちに来た時だった、あれは」一人が、窓から、遥かの、山裾の道を、指さして「あの辺だった」一人が「ま、行こう...
直木三十五 「南国太平記」
...晩年京師(けいし)に留り遂にその地に終った...
永井荷風 「向嶋」
...京師俟野通尚簒補)万人がそれを認めていた...
蜷川新 「天皇」
...京師海西ニ伝送シ最モ美ト称ス...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...寛政二年京師書肆竹苞楼(ちくはうろう)にて観(みる)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文政二年四月京師の商家にて観...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...遠く京師(けいし)を離れていたので...
森鴎外 「魚玄機」
...広島に帰り母を奉じ京師に入り西遊の行を終り更に母を伴ふて嵐山に遊び奈良芳野の勝を訪ひ侍輿百里度二一...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...京師(けいし)に入り...
吉川英治 「親鸞」
...京師学校の論、また奇ならずや...
吉田松陰 「留魂録」
...彼らが京師(けいし)に入る時の歓迎はすばらしいもので...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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