...正面から馬琴に怨声を放って挑戦したのは京山(きょうざん)一人であったが...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...京伝側を代表する京山が...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...京山の序文の年号をとつたのであり...
岡田武松 「北越雪譜」
...云フハレ爾カ天保六年乙未秋園菊開日江戸京山人百樹并書此書の稿本図は別冊とし...
京山人百樹、京水百鶴 「北越雪譜」
...北越雪譜初編巻之上 終北越雪譜初編 巻之中越後塩沢鈴木牧之 編撰江戸京山人百樹 刪定○雪頽(なだれ)人に災(わざはひ)す我(わが)住(すむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内にて雪頽(なだれ)の為(ため)に非命(ひめい)の死(し)をなしたる事...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...北越雪譜初編巻之中 終北越雪譜初編 巻之下越後塩沢鈴木牧之 編撰江戸京山人百樹 刪定○渋海川(しぶみかは)さかべつたう我国の俚言(りげん)に蝶(てふ)をべつたうといふ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...ある時雪の話(はなし)につけて京山翁いへらく...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...北越雪譜二編巻之一 終北越雪譜二編 巻二北越鈴木牧之 編選江戸京山人百樹 増修○雪頽(なだれ)に熊(くま)を得(うる)酉陽雑俎(いうやうざつそ)に云(いふ)...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...北越雪譜二編巻之三 終北越雪譜二編 巻之四越後鈴木牧之 編選江戸京山人百樹 増修○異獣(いじう)魚沼郡堀内(ほりのうち)より十日町へ越る所七里あまり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...(岡田武松)解説鈴木牧之翁略伝本書の著作者鈴木牧之(ボクシ)翁は、明和七年正月七日に、越後の国の塩沢に生れた、塩沢は今日の新潟県南魚沼郡塩沢町である、幼時は弥太郎と云つたが、大きくなつてから、儀三治と改めた、翁の父は、質屋と縮布の仲買を営んでゐた、さうして渡世の傍に、俳諧に遊び、周月庵牧水と号してゐた、翁の牧之と云ふ号は、父の牧水の一字を採つたのである、牧之翁は幼時から英敏であつた、大運寺の快運法師に師事して経書を学び、詩は徳昌寺の虎斑禅師に就て学んだ、翁はまた幼時より画を狩野梅笑に学んで、凡んど画師に近いまでの腕前になつてゐた、北越雪譜の挿画の如きは、原図は大部分翁自ら画いたものである、壮年の頃から、既に風流韻事を解し、諸芸百般に通じてゐたから、交遊は甚だ広かつた、殊に当時の一流の文士であつた馬琴、真顔、六樹園、蜀山人、京伝、京山、一九、三馬、玉山なぞと親交あり、漢学者の鵬斎なぞとも交を訂し、画家では文晁、北斎なぞとも懇意であつた、その外に、名優団十郎、名妓花扇とも往復をしてゐた、元来北越の田舎に多く在住し、商用にて時折上京し、寸※を割いては是等の名流を訪れたのである、然し交通の不便な時代にさう頻繁に上京は出来なかつたから、多くは書簡の往復での交りが多かつた、翁はその往復の書簡を丁寧に蒐集して「筆かゞみ」と名づけて珍蔵して居られた...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...挿画は翁が自筆のものを京山の子の京水が画き直したものだと云ふ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...北越雪譜二編 巻一越後塩沢鈴木牧之 編撰江戸京山人百樹 増修○ 越後の城下越後の国往古(わうご)は出羽越中(ではゑつちゆう)に距(またが)りし事国史(こくし)に見ゆ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...真直ぐに京山科方面へ向って...
中里介山 「大菩薩峠」
...京伝の義弟山東京山がその作「先読(まずよんで)三国小女郎」のなかで「今じゃ合巻といえば子供までが草双紙のことだと思いやす」とある...
林不忘 「仇討たれ戯作」
...まったくこれでもかこれでもかといった風で中でも最近に出た「復讐熊腹帯(かたきうちくまのはらおび)」京山作...
林不忘 「仇討たれ戯作」
...京山の『朧月猫の草紙』などの挿絵に興じてゐる私に何とも云へないこの人の世の寂寥をつたへて来た...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...恐らくや後学魯文は大先輩京山が猫の草紙の後塵を拝したものなのであらう...
正岡容 「異版 浅草燈籠」
...山東京山の近世女裝考には寛文の年號のある勝山の順禮姿の古畫を收め...
三田村鳶魚 「女順禮」
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