...江戸時代の前半を指す「享保期」という区分がある...
...「承和風流 和州流奥義」は、江戸時代に享保7年に出版された書物で、格闘技「太神楽」の基礎的な技術が紹介されています...
...享保(きやうはう)四年歿...
芥川龍之介 「点心」
...一徳川(とくがわ)八代の将軍吉宗(よしむね)の時代(享保(きょうほう)十四年)その落胤(らくいん)と名乗って源氏坊(げんじぼう)天一が出た...
江見水蔭 「備前天一坊」
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太宰治 「津軽」
...浮世絵における和蘭画(オランダが)幾何学的遠近法の応用は既に正徳(しょうとく)享保頃に流行せし劇場内部の光景または娼楼(しょうろう)大広間見通しの図等においてこれを見たりしといへども...
永井荷風 「江戸芸術論」
...それは、享保三年の春、山門の山楼がホロホロと散り初めた頃の出来事...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...享保(きょうほう)十八年...
久生十蘭 「鈴木主水」
...享保五年の正月の末まで...
久生十蘭 「藤九郎の島」
...享保(きょうほう)十三年に渡来した象を細かいところまで見て置いたと見え...
久生十蘭 「平賀源内捕物帳」
...八丈島之南三百里程の処に有之候無人島之大体文禄二年、信濃深志城主彦七郎の子、小笠原貞頼(さだより)、家康の命を受け、伊豆下田より出船、八丈島の南、三百里の処にて無人の島嶼に行き当り、木標、二カ所に建、「日本国天照皇太神宮宮地、島長源家康公幕下小笠原四位小将民部大輔源貞頼朝臣」とあり爾来、毎年、同島に赴き、大いに利するところあり延宝二年、島谷市右衛門ら、無人の島嶼を巡検し、天照皇太神ほか二神を勧請し、「日本内」の木標を建(たつ)、享保十二年春、豊前小倉城主小笠原右近将監殿、日本より東南にあたり、無人島あり、五穀自ら実り、林木(りんぼく)、花多しと申すなり、実否を糺し申さばやと公儀へ御届けあり、すなはち御免を蒙り、伊勢の国にて大船をつくり、武具、馬具、兵糧等おびただしく積み入れ、小笠原式部と言ふ文武兼備の侍を主将として、都合、百五十人ばかり東南の沖へ乗出しけるが、首尾よく彼の島へ着岸せしや、又海中にて破船せしや、便り無かりしとなり其頃、同国の漁師ども、難風に逢ひて南海の絶島に吹きつけられしが、その島には、人一人も住まはず、五穀、満ち足り、平生、無人のところゆゑ、何によらず出来甚だよく、大勢にて久しくその島に逗留せしも、食物に差支へざりしとか...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...享保時代は江戸が全勝を占めています...
正岡子規 「俳句上の京と江戸」
...俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し...
正岡子規 「俳人蕪村」
...享保十四年広南国より象を渡しし術を聞きしに「この獣極めて鼠をいむ故に...
南方熊楠 「十二支考」
...享保六年に生れ、寛政七年十月十二日に七十五歳で歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...年々御米百俵宛(づゝ)三季に享保年中迄頂戴仕來冥加至極難有仕合(きやうはうねんちゆうまでちやうだいつかまつりきたりみやうがしごくありがたきしあはせ)に奉存候(ぞんじたてまつりそろ)」と云つてある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...卷尾には「享保八年癸卯(きばう)七月七日於京都...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...徳川幕府領ではたしか享保度に大きな新田検注(けんちゅう)があった...
柳田國男 「地名の研究」
...去年の享保二年二月三日附で...
吉川英治 「大岡越前」
...伝え聞くところに依ると漢文の小冊子で享保年間の刻になり...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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