...護衛のない十五門の砲がある凹路(おうろ)でアクスブリッジのために転覆されたこと...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...五門をはいると、このあいだの萩(はぎ)が、人の丈(たけ)より高く茂って、株の根に黒い影ができている...
夏目漱石 「三四郎」
...五門を這入(はい)って馬車の輪が砂利の上を二三間軋(きし)ったかと思うと...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...「それでは、これにて御免蒙(こうむ)る、――今夜のうちに駿府に向い、一日も早く江戸へ馳せ帰って、この旨を牛込(うしごめ)の先生へ申上げるとしよう」「然(しか)るべく御披露を願い度い、五貫目玉、五十丁撃の大筒は間違いもなく作り上げ、駿府(すんぷ)へ二門、江戸へ五門、京都へ二門、船積にて送り届けることと致そう」「日限は」「多分九月の初め――八月中には一門だけ見本を造り、この山上にて試し撃をいたすとしよう、その間に地金の用意、万端お頼み申すぞ」「心得申した」「さらば」三四人の武士は、縄付の半十郎を濡れ縁に差し置いたまま、謎のような問答を交して何処(どこ)ともなく立ち去ってしまいました...
野村胡堂 「江戸の火術」
...武装は十五糎(サンチ)砲十五門...
平田晋策 「昭和遊撃隊」
...三聯装十五門の十五糎砲ではないか...
平田晋策 「昭和遊撃隊」
...早朝に前田五門(まえだごもん)が保の家に来て助力(じょりき)をしようと申し込んだ...
森鴎外 「渋江抽斎」
...五門は本(もと)五左衛門(ござえもん)と称して...
森鴎外 「渋江抽斎」
...五門は懇親会において保と相識になった...
森鴎外 「渋江抽斎」
...保は五門と倶(とも)に終日匿名の敵を待ったが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...五門は後明治三十八年二月二十三日に歿した...
森鴎外 「渋江抽斎」
...承応二年和泉国(いづみのくに)熊取村五門に徙(うつ)つて...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...傷と杜と景と死と驚との五門は凶としてある...
吉川英治 「三国志」
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