...五石米は日本の江戸時代の重量計量法に基づく計量単位...
...彼は五石弓の名手だ...
...五石の重さの餅を食べると、健康に良いと言われている...
...五石五ダースのリンゴを買ってきて...
...昔は五石落としが子供たちの遊びだった...
...田畑山林共水越石とも持高百七十五石所持有之候得共...
石川三四郎 「浪」
...院主へ米五石御かし候へと申ければ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...目ざめて見れば六十五石の俸禄(ほうろく)になっていた...
本庄陸男 「石狩川」
...当時六十五石の扶助米を相受けをり候ことにて...
本庄陸男 「石狩川」
...主君邦夷にあたえられる六十五石なぞは問題にならぬ...
本庄陸男 「石狩川」
......
正岡子規 「俳人蕪村」
...五石(石は百か)皆生きあり...
南方熊楠 「十二支考」
...忠利が十人扶持十五石に召し出して...
森鴎外 「阿部一族」
...入表の間切は畠方(はたけがた)の五石(こく)八斗(と)に対して...
柳田国男 「海上の道」
...同国西伯郡日吉津(ひえづ)村大字日吉津の伊勢大神宮に蔵する寛文八年の証文には「大神宮注連の内開高五石一斗これある処存知届け候...
柳田國男 「地名の研究」
...八十五石)島仲 久一郎(表祐筆(ゆうひつ)...
山本周五郎 「古今集巻之五」
...五石三人扶持(ぶち)くらいの徒士(かち)だという...
山本周五郎 「つばくろ」
...それで扶持も十五石余りに加俸されたが...
山本周五郎 「日本婦道記」
...改めて千八十五石となる」故新左衛門の養嗣子(しし)采女(うねめ)は...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...五石(こく)十人扶持(ぶち)をいただいておったという事でありまして……」まで来ると...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...いくら小藩でも五石十人扶持は最下士だ...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...小田原藩で五石十人扶持の小身だった父の里方とは...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...ここにおいて我々は位田職田の収入が小作料の五石と全収穫高の二十五石との間に種々変化するものであることを考えなくてはならぬ...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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