...朦朧とした二尊の金甲神(きんこうじん)が...
芥川龍之介 「邪宗門」
...世界大拡布説話の実例富士と筑波古老曰、昔祖神尊、巡二行諸神之処一、到二駿河国福慈岳一、卒遇二日暮一、請欲二寓宿一、此時福慈神答曰、新粟初嘗、家内諱忌、今日之間、冀許不レ堪、於レ是祖神尊恨泣詈曰、即汝親何不レ欲レ宿、汝所レ居山、生涯之極、冬夏雲霜、冷寒重襲、人民不レ登、飲良勿二尊者一、更登二筑波一、亦請二容止一、此時筑波神答曰、今夜雖二新甞一、不二敢不一レ奉二尊旨一、爰設二飲食一、敬拝祗承、於レ是祖神尊、歓然謌曰、愛乎我胤、巍哉神宮、天地並斎、日月共同、人民集賀、飲食富豊、代代無レ絶、日日弥栄、千秋万歳、遊楽不レ窮者、是以福慈岳常雪不レ得二登臨一、其筑波岳往集歌舞飲喫、至二于今一不レ絶也、蘇民将来と巨旦将来備後国風土記曰、疫隅国社、昔北海坐志武塔神、南海神之女子乎与波比爾出坐爾、日暮多利、彼所爾蘇民将来巨旦将来二人在支、兄蘇民将来甚貧窮、弟巨旦将来富饒、屋倉一百在支、爰爾武塔神借二宿処一、惜而不レ借、兄蘇民将来借奉留、即以二粟柄一為レ座、以二粟飯等一饗奉留、饗奉既畢出坐後爾、経レ年率二八柱子一還来天詔久、我将来之為報答、曰汝子孫其家爾在哉止問給、蘇民将来答申久、巳女子与二斯婦一侍止申須、即詔久以二茅輪一、令レ着二於腰上一、随レ詔令レ着、即夜爾蘇民与二女子二人乎一置天、皆悉許呂志保呂保志天支、即時仁詔久、吾者速須佐能雄神也、後世仁疫気在者、汝蘇民将来之子孫止云天、以二芽輪一着二腰上一、随レ詔令レ着、即家在人者将レ免止詔支、茲に引用せし二つの中、前者は『常陸国風土記』に出で、後のものは『釈日本紀』に出づ...
高木敏雄 「比較神話学」
...その生出の神話に曰く、伊弉諾、伊弉冊二尊、倶に議りて曰く吾已に大八洲及び山川草木を生めり、何ぞ天下の主たる者を生まざらんと...
高木敏雄 「比較神話学」
...日本国民の人文開発は、此二尊に負う所、誠に著しく、今日に至るまで、国民の尊崇深きもの、盖し其故なきに非ざるなり...
高木敏雄 「比較神話学」
...熊谷大膳は嵯峨の二尊院に隠れていたところへ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...二尊院で切腹した熊谷大膳の辞世に云う...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...この重源将来(しょうらい)の画像はその後二尊院の経蔵に安置せられていた...
中里介山 「法然行伝」
...その後二尊院の西の岸の上に雁塔(がんとう)を建ててそこへ遺骨を納めることとした...
中里介山 「法然行伝」
...このほかにおくふかきことを存せば二尊のあわれみにはずれ...
中里介山 「法然行伝」
...二尊院の正位房なども自分の宗義の証明には聖光房をひき合いに出したそうである...
中里介山 「法然行伝」
...迦葉(かしょう)・阿難(あなん)の二尊者(そんじゃ)を連れた釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)がそこを通りかかり...
中島敦 「悟浄歎異」
...父の墓所二尊院に参詣するよりも...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...二尊夫婦の間に行われたる親愛恭敬の遺徳なりと知るべし...
福沢諭吉 「日本男子論」
...天主教のアキレスとネレウス二尊者の頭顱(されこうべ)各五箇ずつ保存恭拝され...
南方熊楠 「十二支考」
...諾冉二尊が日神より前に生むところ...
南方熊楠 「十二支考」
...この鳥特異の動作を示して二尊に高尚なる学課を授け参らせたに因って...
南方熊楠 「十二支考」
...……今朝ほど上人からあんな手痛いお叱りをうけた二尊院の湛空(たんくう)どのもその一人だ...
吉川英治 「親鸞」
便利!手書き漢字入力検索