...日本は徳川時代に中興しました...
...明治時代には新たな中興が起こった...
...経済が停滞していた地域には中興企業が生まれた...
...彼の登場によって、その業界は中興された...
...彼が率いる新党は、国政を中興するべく結成された...
...世上の多くは、子規子の事業を云々し、子規子の議論を云々し、子規子の製作を云々す、しかれども予をもって見れば、これらの事実をもって子規子を偉人なりというは当らず、何となれば、俳句は元禄に興り天明に進歩し、明治に中興せり、子規子の事業と言わばその俳句中興の主動者たるにあり、その成功も決して小ならずといえども、それをもって子規子を偉人なりといわば偉人なるものはあまりに小なり、その議論においてももちろん偉とするに足るものあることなし、その製作は俳句を主とし写生文、歌、雑筆等なりといえども、主なる俳句についていうも、芭蕉もしくは蕪村に対して、容易にその優劣を定めがたきものあるべし、もちろん芭蕉、蕪村に有せざるものも子規子に多からんが、子規子に有せざるものの芭蕉、蕪村に多きもまた明(あきらか)なり、写生文、歌、雑筆等においては、これを偉人の事業としては、むしろ論ずるに足らずというを適当なりとせん...
伊藤左千夫 「絶対的人格」
...作者が若いだけに途中興味が折々緩み勝ちになることはあるが...
井上良夫 「J・D・カーの密室犯罪の研究」
...利休に伝へて大成させた中興の宗匠で...
薄田泣菫 「茶話」
...建武の中興となつた...
太宰治 「津軽」
...清長は浮世絵発達の歴史上その創始者なる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)また錦絵の発明者なる中興の祖鈴木春信(すずきはるのぶ)と並びてこれらの三大時期を区別せしむべき最も重要なる地位を占む...
永井荷風 「江戸芸術論」
...僅かに建武中興の程度に止めてしまい...
中里介山 「大菩薩峠」
...しかしてこの傾向は承久の役の鎌倉の勝利および建武中興の不成功によりて...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...建武中興から始まったいわゆる南北朝の争いは...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...これで祖先に対し奉り、家名回復、我が家を中興し、これまで商売下手と陰に陽に父を嘲けておった百姓、旧友どもを見返すことができると勇んでおった折も折、平壌攻めの折に百姓の孝助が不敵の武功をたてたとの新聞記事...
藤野古白 藤井英男訳 「戦争」
...河内の道明寺中興住持の尼...
南方熊楠 「十二支考」
...(中略)無幾王室中興(いくばくもなくわうしつちゆうこうす)...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...俳諧道の中興(ちゅうこう)開山ではなくて...
柳田国男 「木綿以前の事」
...初めて人間の屍体の中に発見したのは西洋医学中興の祖と呼ばれている大科学者ヘポメニアス氏であった...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...細川藩にとって中興(ちゅうこう)の祖ともいえる業績を遺(のこ)した人物である...
吉川英治 「新書太閤記」
...宋朝(そうちょう)中興の業にひとかどの将として働いた...
吉川英治 「新・水滸伝」
...中興(ちゅうこう)の先祖には...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...そしてそんな非情な人心によってつくり出された次の“建武の中興”が...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...柳生家の中興石舟斎をのぞいては...
吉川英治 「宮本武蔵」
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