...これを潜(くぐ)って中堂がありました...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...中堂金内は、ほどなく松前城に帰着し、上役の野田武蔵(のだむさし)に、このたびの浦々巡視の結果をつぶさに報告して、それからくつろぎ、よもやまの旅の土産話のついでに、れいの人魚の一件を、少しも誇張するところなく、ありのままに淡々と語れば、武蔵かねて金内の実直の性格を悉知(しっち)しているゆえ、その人魚の不思議をも疑わず素直に信じ、膝(ひざ)を打って、それは近頃めずらしい話、殊(こと)にもそなたの沈着勇武、さっそくこの義を殿(との)の御前に於(お)いて御披露(ごひろう)申し上げよう、と言うと、金内は顔を赤らめ、いやいや、それほどの事でも、と言いかけるのにかぶせて、そうではない、古来ためし無き大手柄、家中(かちゅう)の若い者どものはげみにもなります、と強く言い切って、まごつく金内をせき立て、共に殿の御前にまかり出ると、折よく御前には家中の重役の面々も居合せ、野田武蔵は大いに勢い附いて、おのおの方もお聞きなされ、世にもめずらしき手柄話、と金内の旅の奇談を逐一語れば、殿をはじめ一座の者、膝をすすめて耳を傾ける中にひとり、青崎百右衛門(あおさきひゃくえもん)とて、父親の百之丞(ひゃくのじょう)が松前の家老として忠勤をはげんだお蔭(かげ)で、親の歿後(ぼつご)も、その禄高(ろくだか)をそっくりいただき何の働きも無いくせに重役のひとりに加えられ、育ちのよいのを鼻にかけて同輩をさげすみ、なりあがり者の娘などはこの青崎の家に迎え容(い)れられぬと言って妻をめとらず道楽三昧(ざんまい)の月日を送って、ことし四十一歳、このごろは欲しいと言ったって誰(だれ)も娘をやろうとはせぬ有様、みずからの高慢のむくいではあるが、さすがに世の中が面白(おもしろ)くなく、何かにつけて家中の者たちにいや味を言い、身のたけ六尺に近く極度に痩(や)せて、両手の指は筆の軸のように細く長く、落ち窪(くぼ)んだ小さい眼はいやらしく青く光って、鼻は大きな鷲鼻(わしばな)、頬(ほお)はこけて口はへの字型、さながら地獄の青鬼の如き風貌(ふうぼう)をしていて、一家中のきらわれ者、この百右衛門が、武蔵の物語を半分も聞かぬうちに、ふふん、と笑い、のう玄斎(げんさい)、と末座に丸くかしこまっている茶坊主(ちゃぼうず)の玄斎に勝手に話掛け、「そなたは、どう思うか...
太宰治 「新釈諸国噺」
...中堂金内一身上の大事...
太宰治 「新釈諸国噺」
...曰く、「只今は入り口は開ツ放しでございますが、昔はなか/\儼しかつたもので、今も袴腰と云つて、石垣が残つて居りますが、彼所に黒門が二つ在て、池の端の方は町人でも誰でも往来が出来るが、山下の方は将軍家が上野へ御成りの時とか、諸大名が御代参にでも行く時でなければ開けません、其れに下寺(したでら)と云つて……今は通行路(とおり)に成つて居るが、彼所は三十六坊の寺の在つた所、又山王台と云ふ只今西郷さんの銅像の在る所は、山王の社があつて、其れには金箔を置た猿(やえん)と龍の彫刻(ほりもの)がございまして、実に立派な物であつたが、慶応四年の戦に一燼の灰となつてしまつた、黒門を入りまして、左の方が東照宮の御宮入口に門が有つて、其れで其所(そこ)には撞楼堂が在る、是れも亦焼けてしまつたが、今小松宮様の銅像がございますが、彼所が撞楼堂であつた、欄干に左り甚五郎の彫た龍があつて、其れが夜な/\池の端へ、水を飲みに行つたと噂をされた位、美事な彫物であつたが、之も歩兵が射出(うちだ)した鉄砲の為に、焼かれてしまつた、其れから中堂、此の中堂は金が費(かか)つて居た、欄干は総朱塗で、橋があつて之を天馬橋(ばし)、一名虹の橋と云つて、寔(まこと)に結構なもので、其れを正月の十六日と、盆の十六日には小僧の宿下りの日といふので、此の橋を渡らせる、実に立派な御堂であつたが、之も慶応の戦に焼けてしまつた、其れに今は屏風坂を登つて右の方に大師堂があるが、彼の大師様は三十六坊をグル/\廻つたもので、月の晦日と三日が縁日、今は御堂が出来て其堂(それ)へ落着いたが、以前(もと)は然(そう)ではない……宮様の御在(おいで)あそばす所は只今の博物館の所で、今日も門は残つて居ります、十月の二日には三十六坊を宮様が御廻りあそばす、其時は山同心が先に立つて、下に/\の制止声で、実に大層な御威光の有つたもの、此日は町人拝見勝手次第と云ふのですから、御山は人に埋るやう、然し宮様は、上輿(あげこし)で御出になり、御簾(みす)が下つて居るから何うして御顔を拝す事なぞは出来なかつたもの、モウ斯う云ふことは、今に誰も話す者がありますまいから、鳥渡茲に申述べて置きます……」云々...
正岡容 「下谷練塀小路」
...坂本から中堂の執行(しぎょう)へとどけられ...
吉川英治 「私本太平記」
...中堂(ちゅうどう)の行宮(あんぐう)は...
吉川英治 「私本太平記」
...迦陵頻伽(かりょうびんが)の声ともきこえる山千禽(やまちどり)のチチとさえずる朝(あした)――根本中堂(こんぽんちゅうどう)のあたりから手をかざして...
吉川英治 「親鸞」
...六根本中堂は、静かだった...
吉川英治 「親鸞」
...中堂の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)のまえに小さな範宴は...
吉川英治 「親鸞」
...「中堂の宿房(しゅくぼう)にいる性善坊というのは...
吉川英治 「親鸞」
...中堂の宿房へ帰ったら...
吉川英治 「親鸞」
...根本中堂の宿房においでになるが...
吉川英治 「親鸞」
...中堂の表書院へ出て行った...
吉川英治 「親鸞」
...山上の根本中堂へ人々は駈けて行く...
吉川英治 「親鸞」
...中堂へ訴え出て、わしの素姓(すじょう)や、わしのことを、悪しざまに告げた者は、おばばであったのだな...
吉川英治 「宮本武蔵」
...根本中堂からずつと奧の方へ登つて行つた...
若山牧水 「樹木とその葉」
...まだ朝が早いので一山の本堂とも云ふべき根本(こんぽん)中堂といふ大きな御堂の扉もあいて居らず...
若山牧水 「比叡山」
...しかも溪間の行きどまりになつた所に在るために根本中堂だの淨土院だの釋迦堂だの...
若山牧水 「山寺」
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