...趙は一人中堂にいたが...
田中貢太郎 「愛卿伝」
...四人は中堂と此処の途中に...
直木三十五 「南国太平記」
...一廻りして中堂寺町へ出て...
中里介山 「大菩薩峠」
...頂上の根本中堂(こんぽんちゅうどう)まではまだ十八町もあるというので...
横光利一 「比叡」
...越前の境に根本中堂を置くべきであったと考えた...
横光利一 「比叡」
...ひとたび中堂の大梵鐘(だいぼんしょう)が三塔十六谷を鳴り揺すれば...
吉川英治 「私本太平記」
...行宮(あんぐう)の延暦寺根本中堂(えんりゃくじこんぽんちゅうどう)のうちでは...
吉川英治 「私本太平記」
...「――もしまた、命に従わねば、信長様にも、これまでとあって、根本中堂、山王七社、三千の坊舎、峰谷々をも焼きつくし、一山の輩(ともがら)、鏖殺(みなごろ)しになさるべしとの御決意である...
吉川英治 「新書太閤記」
...「横川の和尚とは、叡山の亮信阿闍梨(りょうしんあじゃり)のことではないか」「さようでございます」「すぐる歳(とし)、元亀二年の秋、叡山(えいざん)焼打の折には、この光秀も一手の先鋒(せんぽう)を命ぜられ、山上の根本中堂、山王二十一社、そのほかの霊社仏塔、悉(ことごと)くを焔(ほのお)となし、刃向う僧兵のみか、稚子(ちご)上人(しょうにん)、凡下(ぼんげ)高僧、老幼男女のさべつなく、これを斬って、火に投じ、ふたたびこの深山(みやま)には、人はおろか、草木の芽も出まじと思わるるほど、掃滅殺戮(そうめつさつりく)のかぎりを為(な)し尽したが……もういつしかそこには、また生き残りの法師たちが帰って来て、生きる道を求めておるとみゆるの」「さればです...
吉川英治 「新書太閤記」
...やがて中堂の焼け跡...
吉川英治 「新書太閤記」
...眼にふれた千種(ちぐさ)の薬を百首の歌に詠(よ)み入れた『天台採薬歌(てんだいさいやっか)』という冊子(さっし)が中堂に所蔵されていたと聞いたことがあるので...
吉川英治 「新書太閤記」
...「中堂の宿房(しゅくぼう)にいる性善坊というのは...
吉川英治 「親鸞」
...山上の根本中堂へ人々は駈けて行く...
吉川英治 「親鸞」
...中堂の役寮へ届けを出して...
吉川英治 「宮本武蔵」
...中堂の方へ帰って行った...
吉川英治 「宮本武蔵」
...根本中堂からずっと奥の方へ登って行った...
若山牧水 「青年僧と叡山の老爺」
...まだ朝が早いので一山の本堂とも云ふべき根本(こんぽん)中堂といふ大きな御堂の扉もあいて居らず...
若山牧水 「比叡山」
...根本中堂から十三丁とかある樣に道標に記された淨土院を訪はうと私は歩いてゐた...
若山牧水 「比叡山」
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