...両三日休むことにした...
...この仕事は、両三日で終わると思う...
...両三日に一度家族で集まる...
...明日からは両三日おきにジョギングをするつもりだ...
...両三日置きに水やりをしています...
...いい両三日を送ることが出来た...
石川欣一 「可愛い山」
...高熱のために頭が変になっている――この患者は両三日後に死亡した――のに対して...
石川欣一 「比島投降記」
...出来ないのは知りつつも(両三日中にはきっとどうかしますから)といった工合に出るのだが...
相馬泰三 「六月」
...驟雨浴両三日来、西の地平線上、甲相武信の境を造くる連山の空に当って、屡々(しばしば)黒雲が立った...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...役所に行けばこの両三日職務上他行したりとかにて...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...両三日中(さんにちちゅう)には抹香(まっこう)臭き法衣(ころも)はサラリとぬぎ捨て申すべき由...
永井荷風 「榎物語」
...後家を始め得念にはいづれ両三日中重(かさね)て御礼に参上致すべき旨申し...
永井荷風 「榎物語」
...両三日前英国からグロスタア公がガアタア勲章捧呈の為に来朝している...
山本周五郎 「青べか日記」
...その代りにこの両三日のうちにはキット下手人を探り出いてお眼にかけまする私の所存……何卒……何卒御容赦を……」松倉十内は...
夢野久作 「狂歌師赤猪口兵衛」
...劉封の君、孟達などのご処分は、後にして然るべきかと存じます」やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風をはらみ、何となく物々しかった折も折、国中を悲嘆の底へつきおとすような大悲報は、遂に、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた...
吉川英治 「三国志」
...――その忠円も両三日中には...
吉川英治 「私本太平記」
...それが急遽、別府へ帰されてきた理由の一ツは、「ここ両三日来、見つけない怪船が、幾十となく、島前(どうぜん)の沖を游弋(ゆうよく)している」という情報が、そこの人々を驚かせたからだったに相違ない...
吉川英治 「私本太平記」
...尊氏もここしばらくは静観しよう」やがて、両三日後に、はやこのことは実現された...
吉川英治 「私本太平記」
...室山の城へも湾内の兵船のうちへも、多くの物資や食糧が買上げられ、ここ両三日、小さな軍需景気を見たのであった...
吉川英治 「私本太平記」
...長篠へ到るは遅くもここ両三日のあいだにある...
吉川英治 「新書太閤記」
...この両三日はまた」「臥(ふ)せったままか」「はい」「どこじゃ...
吉川英治 「新書太閤記」
...ここ両三日中は急に踏み渉(わた)ることも相成りますまいか」「そうか...
吉川英治 「新書太閤記」
...牢へ投げこんでおけいと命じおいたのだが……両三日の忙しさに...
吉川英治 「新書太閤記」
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