...両三日休むことにした...
...この仕事は、両三日で終わると思う...
...両三日に一度家族で集まる...
...明日からは両三日おきにジョギングをするつもりだ...
...両三日置きに水やりをしています...
...その場所にて両三人焼死したりしゆえ...
井上円了 「おばけの正体」
...此奴を一貝(ひとかひ)一銭に売るんだが二貫か三貫か資本(もと)で一晩二両三両の商売(あきなひ)になる...
内田魯庵 「貧書生」
...出来ないのは知りつつも(両三日中にはきっとどうかしますから)といった工合に出るのだが...
相馬泰三 「六月」
...両三日前の大雪に...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...然るに両三日前午後五時頃一人の肥胖漢(ひはんかん)あり...
ドストエウスキー Fyodor Mikhailovich Dostoevski 森林太郎訳 「鰐」
...僅(わずか)両三年前(ぜん)まではさほどにも思はざりける風土固有の温和なる色調...
永井荷風 「一夕」
...「この両三日(りょうさんにち)はめっきりお暖かになりました...
夏目漱石 「行人」
...「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...七十七両三分で百五十五個半の安政二分判を...
服部之総 「明治の五十銭銀貨」
...そこでお仲間両三人の...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...両三日の大雨の後とて...
吉川英治 「私本太平記」
...両三度立ち寄ったこともあり...
吉川英治 「私本太平記」
...尊氏もここしばらくは静観しよう」やがて、両三日後に、はやこのことは実現された...
吉川英治 「私本太平記」
...両三年前から、東福寺を出て諸国を巡錫(じゅんしゃく)し、乞われて、しばらく駿府(すんぷ)の家人の第宅(ていたく)にいたが、義元の死後、内政ぶりもおもしろくないし、禅語に耳をかす者などは稀れなので、いつの頃か、そこを去り、折ふし蜂須賀村へ来たところ、小六正勝の家に法要があったので、そのまま半月ほど逗留(とうりゅう)していたのであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...ここ両三日を出ることはあるまい...
吉川英治 「新書太閤記」
...……彦右衛門、御辺はきょうも、恵瓊(えけい)と会っていたろうが、どうだな、先の肚(はら)は」「和議のことは、こなたからの申し出(い)でにはなく、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)を使いとして、両三日前から、内々毛利方より申し入れて来たことゆえ、彼の示して来た条件ならば、すぐにも取結ばれましょうが……」「いかん、いかん」――秀吉は、たとえこの際でもと、つよく首を振って見せながら、「断じて、あのままではいかん」と、ことばを重ねた...
吉川英治 「新書太閤記」
...きっと両三年の間には...
吉川英治 「鍋島甲斐守」
...まだ、いずれにしても、両三年は、お取極めなさるまいな』『何もまだ、考えておりません...
吉川英治 「※[#「さんずい+鼾のへん」、第4水準2-79-37]かみ浪人」
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