...丑之助は何の事とも解りかねた...
石川啄木 「天鵞絨」
...今頃丑さんが誰と寝てゐるかと...
石川啄木 「天鵞絨」
...(光緒己丑三月、英倫(イングランド)の務めを終えて東へ帰る、法国(フランス)の馬賽口(マルセイユ)より船に乗る、日本井上甫水兄に遇う...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...八日、丁丑、晴、左大将家御直衣始なり、仍つて鶴岳宮に御参、午剋出御、前駆並びに随兵已下、去月廿七日の供奉人を用ゐらる...
太宰治 「右大臣実朝」
...又孟子の中にも、公孫丑篇に、子夏と曾子との考へ方の相違を論じ、その他の孔門の諸子たちを評論したことが見える...
内藤湖南 「支那目録學」
...三縁山の丑三つの鐘が...
直木三十五 「南国太平記」
...昭和十二年丁丑四月稿...
永井荷風 「西瓜」
...丑松は素直に、お秋を付け廻したことも、木更津へ行ったことにして、お徳の鋭鋒(えいほう)を避け、実はお秋を誘い出しにかかったことも白状しましたが、お徳を殺したことはどうしても言わず、それに証拠は一つもありません...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...丑松がどこに居たか...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...弥惣と約束して丑刻(やつ)(二時)丁度に蔵の前で落合って...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...「隣の丑松の伜の金之助と...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...」第七の下(しも)に「甲子蒙典謁之命、丙寅兼領祠曹、丁丑陞相位、通前後廿年」と註してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...もう丑刻(うしのとき)(午前二時)近いだろう...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...丑之助は、渓流へ跳び下り、岩から岩へ逃げ移って、「おらは、悪くねえぞ」と、いった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...丑之助は、自分が罪でも犯したように、「堪忍してくんなされ...
吉川英治 「宮本武蔵」
...ゆうべは丑之助も...
吉川英治 「宮本武蔵」
...そして持ち直した木剣を振りかぶって、今度は鷲(わし)の子のような勢いで兵庫へ対(むか)って来たが、兵庫が、ひたッと木剣の先を向けると、丑之助は、その姿勢のまま、途中で立ち竦(すく)んでしまった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...丑之助は振向いた...
吉川英治 「宮本武蔵」
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