...万延元年の生れというは大学に入る時の年齢が足りないために戸籍を作り更(か)えたので実は文久二年であるそうだ...
内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
...三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年で...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...これは万延元年に前年からの工事が落成したもので...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...万延元年の変では...
野村胡堂 「江戸の昔を偲ぶ」
...咸臨丸はその時(万延(まんえん)元年正月...
服部之総 「咸臨丸その他」
...万延・文久度(ど)のほうはいたる行動期となって...
服部之総 「志士と経済」
...両人の死後、万延、文久の行動期を迎えて、松門遺弟は全力を挙げ活躍するが――『リセランド窮理書』を資金五両に替えて不如意を嘆じた玄瑞などもやがて脱藩の要もなく藩論を握り、祇園(ぎおん)町に美声と智謀を謳われる身分となるのは、一面前出宍戸九郎兵衛、周布政之助(すふまさのすけ)、桂小五郎(かつらこごろう)といった一連の近代的政策力をもつ建設派新官僚の支持によるが、他面――むしろ決定的に――全国「草莽(そうもう)義徒」の組織された圧力を代表することができたからである...
服部之総 「志士と経済」
...浦賀に上陸して酒を飲む咸臨丸(かんりんまる)の出帆は万延元年の正月で...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...慶長小判を始めとして万延年中迄の貨幣を揃(そろ)えて甲比丹の処へ送(おくっ)て遣(やっ)た...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...例えば開国の初に、横浜で露西亜(ロシア)人の斬られたことなどは、唯(ただ)その事変に驚くばかりで自分の身には何とも思わざりしに、その後間もなく外人嫌いの精神は俄(にわか)に進歩して殺人(ひとごろし)の法が綿密になり、筋道(すじみち)が分(わか)り、区域が広くなり、之(これ)に加(くわ)うるに政治上の意味をも調合して、万延元年、井伊(いい)大老の事変後は世上何となく殺気を催(もよお)して、手塚律蔵(てづかりつぞう)、東条礼蔵(とうじょうれいぞう)は洋学者なるが故にとて長州人に襲撃せられ、塙二郎(はなわじろう)は国学者として不臣なりとて何者かに首を斬(き)られ、江戸市中の唐物屋は外国品を売買して国の損害するとて苦しめらるゝと云(い)うような風潮になって来ました...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...その三百十万延元年は蘭軒歿後第三十一年である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「万延元年庚申小春二十八夜三更燈下収筆...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万延二年二月三日宣旨...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...抽斎歿後の第二年は万延(まんえん)元年である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...万延元年に七十六に満たぬことは明白である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...しかし万延年間養父が七つくらいのとき失敗して...
柳田国男 「故郷七十年」
...元来あの蔵元屋は昔からこの万延寺でも一番上等の檀家で御座いましつろうがなあ和尚さん」「ヘエヘエ...
夢野久作 「狂歌師赤猪口兵衛」
...万延寺の本堂と背中合わせの竹瓦に板庇...
夢野久作 「狂歌師赤猪口兵衛」
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