...「七道」に入っている場所の案内を頼んだ...
...「七道」を通って夜の町を歩いてみた...
...摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震で...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...畿内七道皆地震がし...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...或る者は五畿七道へ廻国の旅に上ったと云う...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...二十七道庵が、寝ながら頭の寒いことを感じ出したのは、今晩に始まったことではなく、つまらない一時の感激から、額をそり上げてしまったことを、今も悔(く)いているのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...これだから旅は止められねえ」十七道庵先生は...
中里介山 「大菩薩峠」
...四十余年の間五畿七道いたらざるところなく...
中里介山 「大菩薩峠」
...七道々、平次は八五郎に訊(たづ)ねました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...換言すれば五畿七道という建制順序に過重の意義を付し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...五畿七道とてもまた同じことだ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...五道六道七道等のものもある...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...五畿七道存胸臆...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...四十一州にわたる蜀の山川谿谷、都市村落、七道三道の通路、舟帆(しゅうはん)、駄馬の便、産物集散の模様まで、一巻数十尺の絵巻のうちに写されていた...
吉川英治 「三国志」
...洛外七道の街道口その他に非常の布陣が行われ出した...
吉川英治 「私本太平記」
...雑訴決断所は、ひろく聖断を仰ぐところの役所とあって、五畿(き)、七道、八番の地域にわかたれ、それぞれ政務を分担する仕組みであったが、ここもその上層部は、すべて公卿任官で名をつらねた...
吉川英治 「私本太平記」
...さきに足利方が、直義の名で、諸国へ飛ばしておいた檄(げき)の応(こた)えが、いまやものをいって来たかたちで、五畿(き)、七道、四国九州、全土の朝敵一時に蜂起(ほうき)すと聞えしかば朝野(てうや)肝(きも)を消さずといふ事なしとあるような情勢にもあったので、都はまさに海嘯(つなみ)の中の一楼(ろう)に似ていたのである...
吉川英治 「私本太平記」
...それを繞(めぐ)る五畿七道の市街交通等を概望すれば...
吉川英治 「新書太閤記」
...氏はこの諸道十五束を『続紀(しょっき)』慶雲三年九月の「遣使七道...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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