...外輪をバジャバジャいわせ...
エドワード・シルヴェスター・モース Edward Sylvester Morse 石川欣一訳 「日本その日その日」
...そのジャバを「カリンガ」(訶陵)と号しておりますからインドの南海岸から出たものに相違ないのであります...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...そのカリンガ時代のジャバにはご承知の通りブルバドール(千仏壇)といって...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...われわれがこのジャバの音楽...
中井正一 「美学入門」
...砂糖はジャバやキューバの原住民の食べた原始食料である...
永井隆 「ロザリオの鎖」
...インドネシア諸島(ジャバ)にたいしても同様であり...
マクス・ノイバーガー Max Neuburger 水上茂樹訳 「医学の歴史」
...往時日本で刀剣を尊んだに付け、鮫皮を鑑賞する事夥しく、『鮫皮精義』等の専門書もあり、支那、ジャバ、前後インド諸国の産を夥しく輸入したが、予先年取り調べてペルシア海の鮫皮がもっとも日本で尊ばれたと知った...
南方熊楠 「十二支考」
...ジャバ團子をこしらへる(高志路四卷八號)...
柳田國男 「食料名彙」
...ジャバ越後の刈羽(かりわ)地方などで...
柳田國男 「食料名彙」
...ジャバ団子をこしらえる(高志路四巻八号)...
柳田國男 「食料名彙」
...ただ今、これで朝鮮まで行けるやとのお訊ねでございましたが、高麗(こうらい)、大明(だいみん)はおろか、安南(アンナン)、柬埔寨(カンボジヤ)、婆羅納(ブルネオ)、暹羅(シャム)、高砂(たかさご)、呂宋(ルソン)、爪哇(ジャバ)、満剌加(マラッカ)はいうに及ばず、遠くは奥南蛮(おくなんばん)から喜望峰(きぼうほう)の岬(みさき)をめぐり、大西洋へ出て、西班牙(スペイン)、葡萄牙(ポルトガル)、羅馬(ローマ)、どこへでも、行けば行けないところはございませぬ」「ふ……ウム」秀吉は、すこし鼻白んだ...
吉川英治 「新書太閤記」
...「呂宋(ルソン)、爪哇(ジャバ)、婆羅納(ブルネオ)、安南(アンナン)、暹羅(シャム)あたりまでを総じて南蛮諸国と申し、また島々とよび、満剌加(マラッカ)から先、臥亜(ゴア)などを奥南蛮とも申しております」「臥亜(ゴア)とはどこか」「天竺(てんじく)でござります...
吉川英治 「新書太閤記」
...そしてジャバ島を殆んど西欧化して東印度で一番の開発された島としたんだ...
蘭郁二郎 「宇宙爆撃」
...前二者はインド経由でシナに来り、北京で教会を建設・経営しているが、中でもオデリコは、スマトラ、ジャバ、ボルネオ、チャンパを経て広東に達し、マルコ・ポーロの描いた Zayton, Quinsay や南京などを通って北京に来たのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...ボルネオとジャバにはやや永く滞留した...
和辻哲郎 「鎖国」
...ジャバまで遍歴して来たヴェネチア人ルドヴィコ・ディ・ヴァルテマが来訪し...
和辻哲郎 「鎖国」
...やがて一四三〇年からはジャバへも琉球船が行くようになった...
和辻哲郎 「鎖国」
......
和辻哲郎 「鎖国」
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