...あの古博多の川端――筆者の産れた――あたりと櫛田神社(オクシダサマ)の絵馬堂を織り込ンだ『押絵の奇蹟』だったのである...
青柳喜兵衛 「夢の如く出現した彼」
...アタシダッテ練習中ハ靴カラタラ/\血ヲ出シタコトガ何度モアッタワ...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...布師田(ヌノシダ)北海道に「ヌノユシ」の地名がある...
寺田寅彦 「土佐の地名」
...――地極の聖女はわが目にはいと聖なれば!レ・シダリーズわれらが恋の女たちは何処に行つたか?彼女たちは墓場だ!黄泉(よみ)の郷(くに)では彼女たちはもつと仕合せだ!彼女たちは諸天使の近くにゐる...
中原中也 「ヂェラルド・ド・ネルヴァル」
...70ファレイドゥーン――かつてのピシダーデイ王朝の末裔(まつえい)としてイランを再興したと伝えられる勇士...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...窓・花壇のスミレやシダ越しに...
フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳 「王冠の重み」
...土手は濃緑色のシダが密生し...
フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳 「道化玉座」
...ヒガンザクラ(縮図)ウバ彼岸から園芸的に変って出来たものにシダレザクラ...
牧野富太郎 「植物記」
...すなわちその一は元とのままのシダレザクラが生え...
牧野富太郎 「植物記」
...十日、いよいよ利尻山に登山するために、鴛泊の宿を払暁に出発した、同行は例の四人の外に人足がたしか七人か八人かであろう、つまり一人に就て人足二人位の割合であったように思うている、とにかく弁当やら、草の入れ物やら、あるいは余が使用する押紙などを、沢山に持たしたのであるから、普通の人の登山に較べたら、人足の数もよほど多かったであろうと思う、鴛泊の町を宿屋から南東に向って、五、六町も行ってから、右の方に折れたように思う、一体は宿を出でて間もなく、右に曲りて登るのが利尻山への本道であるらしいが、余らの一行は、途中で、ミズゴケを採る必要があるので、ミズゴケの沢山にあるという池の方へ廻ることになったために、こんな道筋を進んだのである、町はずれから右に折れて、幾町か爪先上りに進んで行けば、高原に出るが、草が深くて道は小さいので、やっと捜して行く位である、次第に進むに従って雑木やら、ネマガリダケ、ミヤコザサなどが段々生い繁って、人の丈よりも高い位であるからして、道は殆んど見ることが出来ないようなというよりも、道は全くないと言った方が宜いのである、そんなところを数町の間押分けながら進んで、漸く池のある所に出たが、無論この池の名はないのである、ミズゴケが沢山この辺にあるので、一同は充分に先ずこれを採集した、池の辺は、トドマツと、エゾマツが一番多くこの辺はすべて喬木林をなしている、その林中にある植物は、重(おも)なるものを数えて見ると、ミヤマシケシダ、シロバナニガナ、ツボスミレ、ホザキナナカマド、メシダ、オオメシダ、ジュウモンジシダ、ミヤママタタビ、サルナシ、バッコヤナギ、オオバノヨツバムグラ、テンナンショウ、ヒトリシズカ、ミツバベンケイソウ、ヒメジャゴケ、ウド、ザゼンソウ、ナンバンハコベ、ミヤマタニタデ、イワガネゼンマイなどである、この池から先きは、多少の斜面となっているので、その斜面を伝うて登れば先ず笹原である、笹原の次が雑木である、雑木の次がエゾマツとトドマツの密生している森林で、道は全く形もないのに傾斜はますます急である、一行はこの森林の中を非常な困難をして登ったのであるが、間もなく斜面が漸く緩になると同時に、森林が変じて笹原となって、終には谷に出ることが出来た...
牧野富太郎 「利尻山とその植物」
...もともとこんなにシダラがなくはない...
三好十郎 「斬られの仙太」
...昔シダマを見るように...
柳田国男 「海上の道」
...単に山シダマシシぬぐと...
柳田国男 「海上の道」
...その中の一番を「人のシダ」と呼び...
柳田國男 「食料名彙」
...そのまた二番は「馬のシダ」と呼び...
柳田國男 「食料名彙」
...それはハシダテといえば梯(はし)を立てたような嶮しき岩山をいうのが常のことで...
柳田國男 「地名の研究」
...こっちの窓一パイに乱れかかっているエニシダの枝越(ごし)に...
夢野久作 「一足お先に」
...「ミスター・ヨシダの御先代は...
吉田茂 「私は隠居ではない」
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