...彼は第四脳室をプシケ(心)の座であると思っていた...
ジェイムズ・サンヅ・エリオット James Sands Elliott 水上茂樹訳 「ギリシャおよびローマ医学の概観」
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鶴彬 「鶴彬全川柳」
...ドロシケを雇ってシェーネベルヒの下宿へ行く途中で見たベルリンの家並みは...
寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
...霊的なプシケを広い意味として捉えて「植物的な部分」...
中井正一 「美学入門」
...其理コソ聞カマホシケレ……とあったのを覚えていますが...
中里介山 「大菩薩峠」
...シケリア人をしてタウロスの山腹に新都市を建設させた...
野上豊一郎 「エトナ」
...ハシケで一々運んでから...
林芙美子 「大島行」
...案の定(じょう)ひどくシケていますね...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...暫らく文三がシケジケと眺めているト...
二葉亭四迷 「浮雲」
...十日、いよいよ利尻山に登山するために、鴛泊の宿を払暁に出発した、同行は例の四人の外に人足がたしか七人か八人かであろう、つまり一人に就て人足二人位の割合であったように思うている、とにかく弁当やら、草の入れ物やら、あるいは余が使用する押紙などを、沢山に持たしたのであるから、普通の人の登山に較べたら、人足の数もよほど多かったであろうと思う、鴛泊の町を宿屋から南東に向って、五、六町も行ってから、右の方に折れたように思う、一体は宿を出でて間もなく、右に曲りて登るのが利尻山への本道であるらしいが、余らの一行は、途中で、ミズゴケを採る必要があるので、ミズゴケの沢山にあるという池の方へ廻ることになったために、こんな道筋を進んだのである、町はずれから右に折れて、幾町か爪先上りに進んで行けば、高原に出るが、草が深くて道は小さいので、やっと捜して行く位である、次第に進むに従って雑木やら、ネマガリダケ、ミヤコザサなどが段々生い繁って、人の丈よりも高い位であるからして、道は殆んど見ることが出来ないようなというよりも、道は全くないと言った方が宜いのである、そんなところを数町の間押分けながら進んで、漸く池のある所に出たが、無論この池の名はないのである、ミズゴケが沢山この辺にあるので、一同は充分に先ずこれを採集した、池の辺は、トドマツと、エゾマツが一番多くこの辺はすべて喬木林をなしている、その林中にある植物は、重(おも)なるものを数えて見ると、ミヤマシケシダ、シロバナニガナ、ツボスミレ、ホザキナナカマド、メシダ、オオメシダ、ジュウモンジシダ、ミヤママタタビ、サルナシ、バッコヤナギ、オオバノヨツバムグラ、テンナンショウ、ヒトリシズカ、ミツバベンケイソウ、ヒメジャゴケ、ウド、ザゼンソウ、ナンバンハコベ、ミヤマタニタデ、イワガネゼンマイなどである、この池から先きは、多少の斜面となっているので、その斜面を伝うて登れば先ず笹原である、笹原の次が雑木である、雑木の次がエゾマツとトドマツの密生している森林で、道は全く形もないのに傾斜はますます急である、一行はこの森林の中を非常な困難をして登ったのであるが、間もなく斜面が漸く緩になると同時に、森林が変じて笹原となって、終には谷に出ることが出来た...
牧野富太郎 「利尻山とその植物」
...中央アジア=タシケントにいた時分始終のんでいました...
宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
...シケちゃったあよ...
三好十郎 「その人を知らず」
...船と言つても、汚いハシケの、胴の間です...
三好十郎 「肌の匂い」
...十一月ごろでシケの後であった...
武者金吉 「地震なまず」
...(b)シケリアの佳肴(かこう)も彼らにはうまからず...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...物入リオビタダシケレド...
吉川英治 「大岡越前」
...だいじょうぶ……」「今夜は吉原へシケこもうというのに...
吉川英治 「大岡越前」
...群疑(グンギ)出態(シユツタイ)シケルニ依リ...
吉川英治 「新書太閤記」
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