例文・使い方一覧でみる「みなし児」の意味


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...――と云ってもまさか妬(ねた)みなぞはすまいな? あれは便りのないみなし児じゃ...   ――と云ってもまさか妬みなぞはすまいな? あれは便りのないみなし児じゃの読み方
芥川龍之介 「俊寛」

...唯みなし児の廉一だけは...   唯みなし児の廉一だけはの読み方
芥川龍之介 「庭」

...わたくしは貧しいみなし児でございすが...   わたくしは貧しいみなし児でございすがの読み方
芥川龍之介 「三つの指環」

...みなし児は、丁度子供を欲しがっていたそのアパートの支配人老夫婦が、引取って養女とした...   みなし児は、丁度子供を欲しがっていたそのアパートの支配人老夫婦が、引取って養女としたの読み方
江戸川乱歩 「江川蘭子」

...軽業師アパート支配人江川作平(さくへい)氏とその老妻お駒(こま)さんは、家賃の取立などは随分きびしく、因業者(いんごうもの)の様に云われていたが、二人とも実は仲々の仏性(ほとけしょう)で、みなし児蘭子を、悪人の子であるが故に一層不憫(ふびん)がって、本当の娘の様にいつくしみ育てた...   軽業師アパート支配人江川作平氏とその老妻お駒さんは、家賃の取立などは随分きびしく、因業者の様に云われていたが、二人とも実は仲々の仏性で、みなし児蘭子を、悪人の子であるが故に一層不憫がって、本当の娘の様にいつくしみ育てたの読み方
江戸川乱歩 「江川蘭子」

...みじめなみなし児だ...   みじめなみなし児だの読み方
江戸川乱歩 「吸血鬼」

...廿七日、甲午、霽、夜に入つて雪降る、積ること二尺余、今日将軍家右大臣拝賀の為、鶴岳八幡宮に御参、酉刻御出、行列先づ居飼四人次に舎人四人次に一員将曹菅野景盛    府生狛盛光将監中原成能次に殿上人一条侍従能氏    藤兵衛佐頼経伊予少将実雅    右馬権頭頼茂朝臣中宮権亮信能朝臣  一条大夫頼氏一条少将能継    前因幡守師憲朝臣伊賀少将隆経朝臣  文章博士仲章朝臣次に前駈笠持次に前駈藤勾当頼隆     平勾当時盛前駿河守季時    左近大夫朝親相模権守経定    蔵人大夫以邦右馬助行光     蔵人大夫邦忠左衛門大夫時広   前伯耆守親時前武蔵守義氏    相模守時房蔵人大夫重綱    左馬権助範俊右馬権助宗保    蔵人大夫有俊前筑後守頼時    武蔵守親広修理権大夫惟義朝臣 右京権大夫義時朝臣次に官人秦兼峰       番長下毛野敦秀次に御車、車副四人、牛童一人次に随兵小笠原次郎長清 小桜威  武田五郎信光 黒糸威伊豆左衛門尉頼定 萌黄威 隠岐左衛門尉基行 紅威大須賀太郎道信 藤威   式部大夫泰時 小桜威秋田城介景盛 黒糸威   三浦小太郎時村 萌黄威河越次郎重時 紅威    荻野次郎景員 藤威各冑持一人、張替持一人、傍路に前行す、次に雑色廿人次に非違使大夫判官景廉次に御調度懸佐々木五郎左衛門尉義清次に下御随身秦公氏        同兼村播磨貞文       中臣近任下毛野敦光      同敦氏次に公卿新大納言忠信     左衛門督実氏宰相中将国道     八条三位光盛刑部卿三位宗長次左衛門大夫光員    隠岐守行村民部大夫広綱     壱岐守清重関左衛門尉政綱    布施左衛門尉康定小野寺左衛門尉秀道  伊賀左衛門尉光季天野左衛門尉政景   武藤左衛門尉頼茂伊東左衛門尉祐時   足立左衛門尉元春市河左衛門尉祐光   宇佐美左衛門尉祐長後藤左衛門尉基綱   宗左衛門尉孝親中条左衛門尉家長   佐貫左衛門尉広綱伊達右衛門尉為家   江右衛門尉範親紀右衛門尉実平    源四郎右衛門尉季氏塩谷兵衛尉朝業    宮内兵衛尉公氏若狭兵衛尉忠季    綱嶋兵衛尉俊久東兵衛尉重胤     土屋兵衛尉宗長堺兵衛尉常秀     狩野七郎光広路次の随兵一千騎なり、抑も今日の勝事、兼ねて変異を示す事一に非ず、所謂、御出立の期に及びて、前大膳大夫入道参進して申して云ふ、覚阿成人の後、未だ涙の顔面に浮ぶことを知らず、而るに今昵近し奉るの処、落涙禁じ難し、是只事に非ず、定めて仔細有る可きか、東大寺供養の日、右大将軍の御出の例に任せ、御束帯の下に腹巻を著けしめ給ふ可しと云々、仲章朝臣申して云ふ、大臣大将に昇る人、未だ其式有らずと云々、仍つて之を止めらる、又公氏御鬢に候するの処、自ら御鬢一筋を抜き、記念と称して之を賜はる、次に庭の梅を覧て禁忌の和歌を詠じ給ふ、出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ(以上吾妻鏡)(以下承久軍物語に拠る)このとき右京権大夫義時は、御剣の役を勤め給ひしが、宮の門に入給ふ折ふし、俄かに心神悩乱し、前後暗くなりしかば、文章博士仲章を呼びて御剣をゆづり、退去して己の邸に帰り給ふ、ここに不思議あり、将軍御車より降り給ふとて、細太刀の柄、御車の手形に入りたるけるを知らせ給はで、打折らせ給ふこそ、あさましけれ、然るに、仲章苦しうも候ふまじとて、木を結ひ添へてぞまゐらせける、むかし臨江王といひし人はるかの道におもむくとて、車の轅折れたりけるを、慎しまずして行きけるが、再び返ることを得ずして、他国の土と朽ちにけり、前車のくつがへるは、後車の戒しめとこそ申すに、諫め申さざる文章博士不覚なる次第也、これのみか、御車の前を黒き犬、横さまに通る事、霊鳩しきりに鳴く事、かたがたもていまいましき告げ有りけるを、驚かぬこそはかなけれ、さるほどに石階に近づかせ給ふ時、いづくよりともなく、美僧あらはれ来て、将軍を犯し奉る、はじめ一太刀は笏にて合せ給へども、次の太刀にぞ御首は落され給ひけり、文章博士仲章、因幡前司師憲も斬られけり、前後に候ひける随兵ども、こは如何なる事ぞやとて、あわて騒ぎて宮の中に馳せ込むといへども、かたきは誰とも知らず、頃は正月廿七日の戌の時の事なれば、暗さは暗し、上を下に返して、どよむ声おびただし、かかりける所に、上宮の砌にて、阿闍梨公暁、父のかたきを討つと名乗られつるといふ事ありて、軍勢ども、すなはちかの禅師がおはします雪下の本坊を襲ふところに、ここには、おはしまさずとて兵ども帰りけり、さても別当、公暁とは、故右大将殿の御嫡孫にして金吾将軍の二男なり、御母は、賀茂の六郎重長の女にてぞおはしける、みなし児にて、おはせしを、祖母の二位の禅尼、ふびんに思召し、鶴岳八幡宮の別当職に附せらる、かねて将軍ならびに右京大夫義時を討たんとて窺ひ給ふといへども、未だ本望をとげ給はず、この拝賀の時節を、天の与へと喜びて、おぼし立つところに、義時こそ、御剣の役に定りける由聞こしめしければ、まづ一の太刀に討ち給ふところに、引かへ、仲章御剣の役を勤めし故にこそ、あへなく討たれけるとかや、ともかくに日頃の宿意を遂ぐると悦びて、すなはち将軍の御首を手に持ち、後見の備中阿闍梨が雪下の北谷の家に向はれけるが、物などまゐらせける間も、御首を放し給はず、然るに、別当の門弟に、駒若丸と申すは、三浦の平六左衛門義村が二男也、そのよしみを、おぼしけるかや、源太兵衛と申す者を御使ひにて、義村が方へ仰せ遣されけるは、右府将軍すでに薨じ給ひぬ、いま関東の長たるべき者は我なり、早く計略をめぐらすべしと示し合されければ、義村、大きに呆れ、日頃将軍家御恩厚く被り奉れば、今更いたはしく思ひ、右京大夫に参りて申合せければ、すみやかに別当阿闍梨を誅し奉るべきに定りけり、すなはち長尾の新六、雑賀の二郎以下五人の兵に仰せて、阿闍梨の在所へつかはさる、別当は、使ひの遅き事を待ちかね給ひて、義村が私宅に至らんとおぼしめして山中にかかり給ふが、その夜しも大雪降りて、道に迷うておはせし所に、長尾の六郎往き逢ひて誅し奉らんとす、別当は、早業力業、人にすぐれ給へば、左右なく討たれ給はず、積雪を蹴散らし蹴散らし、ここを先途と闘ひ給ふ、しかれども、多勢に不勢かなはねば、つひに討ちとられ給ひけり、明くれば、廿八日、将軍家の御葬礼を営まんとするところに、御首のありか知れざりければ、いかにせんと惑ふところに、きのふ御ところの御出の時、公氏御鬢に参りければ、鬢の髪を一すぢ抜かせ給ひて、御形見とて賜ひし事こそ、いまはしけれ、その一すぢの御髪を御頭の代りに用ゐて、御棺に入れ奉り、勝長寿院の傍に葬り奉る、この日、御台所も御出家あり、御戒師は行勇僧都なり、また武蔵守親広、左衛門大夫時広、城介景盛以下、数百人の大名ども、ことごとく出家したり、あはれなるかな、きさらぎ二日、加藤判官六波羅に馳せつき、右府将軍御他界のよし申しければ、京中の貴賤男女聞き伝へ、東西を失ひて歎き悲しみける...   廿七日、甲午、霽、夜に入つて雪降る、積ること二尺余、今日将軍家右大臣拝賀の為、鶴岳八幡宮に御参、酉刻御出、行列先づ居飼四人次に舎人四人次に一員将曹菅野景盛    府生狛盛光将監中原成能次に殿上人一条侍従能氏    藤兵衛佐頼経伊予少将実雅    右馬権頭頼茂朝臣中宮権亮信能朝臣  一条大夫頼氏一条少将能継    前因幡守師憲朝臣伊賀少将隆経朝臣  文章博士仲章朝臣次に前駈笠持次に前駈藤勾当頼隆     平勾当時盛前駿河守季時    左近大夫朝親相模権守経定    蔵人大夫以邦右馬助行光     蔵人大夫邦忠左衛門大夫時広   前伯耆守親時前武蔵守義氏    相模守時房蔵人大夫重綱    左馬権助範俊右馬権助宗保    蔵人大夫有俊前筑後守頼時    武蔵守親広修理権大夫惟義朝臣 右京権大夫義時朝臣次に官人秦兼峰       番長下毛野敦秀次に御車、車副四人、牛童一人次に随兵小笠原次郎長清 小桜威  武田五郎信光 黒糸威伊豆左衛門尉頼定 萌黄威 隠岐左衛門尉基行 紅威大須賀太郎道信 藤威   式部大夫泰時 小桜威秋田城介景盛 黒糸威   三浦小太郎時村 萌黄威河越次郎重時 紅威    荻野次郎景員 藤威各冑持一人、張替持一人、傍路に前行す、次に雑色廿人次に非違使大夫判官景廉次に御調度懸佐々木五郎左衛門尉義清次に下御随身秦公氏        同兼村播磨貞文       中臣近任下毛野敦光      同敦氏次に公卿新大納言忠信     左衛門督実氏宰相中将国道     八条三位光盛刑部卿三位宗長次左衛門大夫光員    隠岐守行村民部大夫広綱     壱岐守清重関左衛門尉政綱    布施左衛門尉康定小野寺左衛門尉秀道  伊賀左衛門尉光季天野左衛門尉政景   武藤左衛門尉頼茂伊東左衛門尉祐時   足立左衛門尉元春市河左衛門尉祐光   宇佐美左衛門尉祐長後藤左衛門尉基綱   宗左衛門尉孝親中条左衛門尉家長   佐貫左衛門尉広綱伊達右衛門尉為家   江右衛門尉範親紀右衛門尉実平    源四郎右衛門尉季氏塩谷兵衛尉朝業    宮内兵衛尉公氏若狭兵衛尉忠季    綱嶋兵衛尉俊久東兵衛尉重胤     土屋兵衛尉宗長堺兵衛尉常秀     狩野七郎光広路次の随兵一千騎なり、抑も今日の勝事、兼ねて変異を示す事一に非ず、所謂、御出立の期に及びて、前大膳大夫入道参進して申して云ふ、覚阿成人の後、未だ涙の顔面に浮ぶことを知らず、而るに今昵近し奉るの処、落涙禁じ難し、是只事に非ず、定めて仔細有る可きか、東大寺供養の日、右大将軍の御出の例に任せ、御束帯の下に腹巻を著けしめ給ふ可しと云々、仲章朝臣申して云ふ、大臣大将に昇る人、未だ其式有らずと云々、仍つて之を止めらる、又公氏御鬢に候するの処、自ら御鬢一筋を抜き、記念と称して之を賜はる、次に庭の梅を覧て禁忌の和歌を詠じ給ふ、出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナこのとき右京権大夫義時は、御剣の役を勤め給ひしが、宮の門に入給ふ折ふし、俄かに心神悩乱し、前後暗くなりしかば、文章博士仲章を呼びて御剣をゆづり、退去して己の邸に帰り給ふ、ここに不思議あり、将軍御車より降り給ふとて、細太刀の柄、御車の手形に入りたるけるを知らせ給はで、打折らせ給ふこそ、あさましけれ、然るに、仲章苦しうも候ふまじとて、木を結ひ添へてぞまゐらせける、むかし臨江王といひし人はるかの道におもむくとて、車の轅折れたりけるを、慎しまずして行きけるが、再び返ることを得ずして、他国の土と朽ちにけり、前車のくつがへるは、後車の戒しめとこそ申すに、諫め申さざる文章博士不覚なる次第也、これのみか、御車の前を黒き犬、横さまに通る事、霊鳩しきりに鳴く事、かたがたもていまいましき告げ有りけるを、驚かぬこそはかなけれ、さるほどに石階に近づかせ給ふ時、いづくよりともなく、美僧あらはれ来て、将軍を犯し奉る、はじめ一太刀は笏にて合せ給へども、次の太刀にぞ御首は落され給ひけり、文章博士仲章、因幡前司師憲も斬られけり、前後に候ひける随兵ども、こは如何なる事ぞやとて、あわて騒ぎて宮の中に馳せ込むといへども、かたきは誰とも知らず、頃は正月廿七日の戌の時の事なれば、暗さは暗し、上を下に返して、どよむ声おびただし、かかりける所に、上宮の砌にて、阿闍梨公暁、父のかたきを討つと名乗られつるといふ事ありて、軍勢ども、すなはちかの禅師がおはします雪下の本坊を襲ふところに、ここには、おはしまさずとて兵ども帰りけり、さても別当、公暁とは、故右大将殿の御嫡孫にして金吾将軍の二男なり、御母は、賀茂の六郎重長の女にてぞおはしける、みなし児にて、おはせしを、祖母の二位の禅尼、ふびんに思召し、鶴岳八幡宮の別当職に附せらる、かねて将軍ならびに右京大夫義時を討たんとて窺ひ給ふといへども、未だ本望をとげ給はず、この拝賀の時節を、天の与へと喜びて、おぼし立つところに、義時こそ、御剣の役に定りける由聞こしめしければ、まづ一の太刀に討ち給ふところに、引かへ、仲章御剣の役を勤めし故にこそ、あへなく討たれけるとかや、ともかくに日頃の宿意を遂ぐると悦びて、すなはち将軍の御首を手に持ち、後見の備中阿闍梨が雪下の北谷の家に向はれけるが、物などまゐらせける間も、御首を放し給はず、然るに、別当の門弟に、駒若丸と申すは、三浦の平六左衛門義村が二男也、そのよしみを、おぼしけるかや、源太兵衛と申す者を御使ひにて、義村が方へ仰せ遣されけるは、右府将軍すでに薨じ給ひぬ、いま関東の長たるべき者は我なり、早く計略をめぐらすべしと示し合されければ、義村、大きに呆れ、日頃将軍家御恩厚く被り奉れば、今更いたはしく思ひ、右京大夫に参りて申合せければ、すみやかに別当阿闍梨を誅し奉るべきに定りけり、すなはち長尾の新六、雑賀の二郎以下五人の兵に仰せて、阿闍梨の在所へつかはさる、別当は、使ひの遅き事を待ちかね給ひて、義村が私宅に至らんとおぼしめして山中にかかり給ふが、その夜しも大雪降りて、道に迷うておはせし所に、長尾の六郎往き逢ひて誅し奉らんとす、別当は、早業力業、人にすぐれ給へば、左右なく討たれ給はず、積雪を蹴散らし蹴散らし、ここを先途と闘ひ給ふ、しかれども、多勢に不勢かなはねば、つひに討ちとられ給ひけり、明くれば、廿八日、将軍家の御葬礼を営まんとするところに、御首のありか知れざりければ、いかにせんと惑ふところに、きのふ御ところの御出の時、公氏御鬢に参りければ、鬢の髪を一すぢ抜かせ給ひて、御形見とて賜ひし事こそ、いまはしけれ、その一すぢの御髪を御頭の代りに用ゐて、御棺に入れ奉り、勝長寿院の傍に葬り奉る、この日、御台所も御出家あり、御戒師は行勇僧都なり、また武蔵守親広、左衛門大夫時広、城介景盛以下、数百人の大名ども、ことごとく出家したり、あはれなるかな、きさらぎ二日、加藤判官六波羅に馳せつき、右府将軍御他界のよし申しければ、京中の貴賤男女聞き伝へ、東西を失ひて歎き悲しみけるの読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...みなし児なのです...   みなし児なのですの読み方
太宰治 「燈籠」

...旅のみなし児砂糖なめてゐる寄りそうてだあまつて旅のみなし児は旅の子供はひとりでメンコうつてゐる□・久しぶり逢つた秋のふぐと汁(源三郎居)鰒食べつゝ話が尽きない( 〃 )□・濡れて寒い顔と顔がしづくしてゐるバクチにまけてきて相撲見の金を借り出さうとしてゐる時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん・空も人も時化ける冬空のふる郷へちかづいてひきかへす追うても逃げない虫が寒い十一月廿二日晴曇定めなし...   旅のみなし児砂糖なめてゐる寄りそうてだあまつて旅のみなし児は旅の子供はひとりでメンコうつてゐる□・久しぶり逢つた秋のふぐと汁鰒食べつゝ話が尽きない□・濡れて寒い顔と顔がしづくしてゐるバクチにまけてきて相撲見の金を借り出さうとしてゐる時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん・空も人も時化ける冬空のふる郷へちかづいてひきかへす追うても逃げない虫が寒い十一月廿二日晴曇定めなしの読み方
種田山頭火 「行乞記」

...みなし児でして...   みなし児でしての読み方
チェーホフ Anton Chekhov 神西清訳 「女房ども」

...父も母もないみなし児で...   父も母もないみなし児での読み方
豊島与志雄 「銀の笛と金の毛皮」

...みなし児になってこの家に引取られ...   みなし児になってこの家に引取られの読み方
中里介山 「大菩薩峠」

......   の読み方
中野鈴子 「お前は此の頃よくねむる」

...たよりすくないみなし児の身...   たよりすくないみなし児の身の読み方
三上於菟吉 「雪之丞変化」

...胸のお守護袋には公爵のみなし児である証拠ともなる母親の手紙が緘ぜられてあつた...   胸のお守護袋には公爵のみなし児である証拠ともなる母親の手紙が緘ぜられてあつたの読み方
室生犀星 「愛の詩集」

...彼は十五の年にみなし児になり...   彼は十五の年にみなし児になりの読み方
山本周五郎 「赤ひげ診療譚」

「みなし児」の読みかた

「みなし児」の書き方・書き順

いろんなフォントで「みなし児」

「みなし児」の英語の意味


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