...そりや道修町(どしようまち)や...
泉鏡太郎 「大阪まで」
...道修町(どしょうまち)のくすり屋(や)にくまがとどいて...
高山毅 「福沢諭吉」
...道修町(どしょうまち)なら此処からそう遠くない所であるのを思い...
谷崎潤一郎 「細雪」
...大阪道修町に住して薬種商を営む...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...そうなってからでもそれで生計を立てたのではなく月々道修町(どしょうまち)の本家から仕送る金子(きんす)の方が比較(ひかく)にならぬほど多額だったのであるが...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...昔は寒稽古と云って寒中夜のしらしら明けに風に吹き曝(さら)されながら稽古をするという習慣があったけれども道修町は薬屋の多い区域(くいき)であって堅儀(かたぎ)な店舗(てんぽ)が軒(のき)を列(つら)ね遊芸の師匠や芸人などの住宅のある所でもなしなまめかしい種類の家は一軒(いっけん)もないのであるそれにしんしんと更(ふ)けた真夜中...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...それに道修町の時分にはまだ両親や兄弟達へ気がねがあったけれども一戸の主(あるじ)となってからは潔癖と我(わ)が儘(まま)が募(つの)る一方で佐助の用事はますます煩多(はんた)を加えたのであるこれは鴫沢(しぎさわ)てる女の話でさすがに伝には記してないが...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...お縫物薬研の響き打ち続く軒下通ひ道修町行く大阪に道修(どしよう)町といふ薬屋許りの町がある...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...道修町(どしょうまち)の薬種屋(やくしゅや)に丹波か丹後から熊が来たと云う触込(ふれこ)み...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...「道修町」の台本の朱入れなどで...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...今やった「道修町」が先きでやりにくし...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」は、しっかりかたまり、がっちり受けるやうになった...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」つきあひの方は投げて...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」が一等に当選したといふニュース...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」以来、妙に催涙術を会得し、涙が出るのは不思議である...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...もし道修町(どしょうまち)の薬屋の若旦那新護(しんご)花嫁を迎へし喜びに祝の句を集めて小冊子となしこれを知人に配るとすれば風流の若旦那たるを失はず...
正岡子規 「墨汁一滴」
...道修町(どしようまち)の會社に勤めてゐる三田さんといふ人ゐるだらう...
水上滝太郎 「大阪の宿」
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