...「道修町(だうしうまち)と云(い)ふだがね...
泉鏡太郎 「大阪まで」
...彼は我が児以上に春琴の身を案じたまたま微恙(びよう)で欠席する等のことがあれば直ちに使(つかい)を道修町に走らせあるいは自ら杖(つえ)を曳(ひ)いて見舞(みま)った...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...何という心得違いをいうぞといった○春松検校の家は靱(うつぼ)にあって道修町の鵙屋の店からは十丁ほどの距離(きょり)であったが春琴は毎日丁稚(でっち)に手を曳(ひ)かれて稽古に通ったその丁稚というのが当時佐助と云った少年で後の温井検校であり...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...それに道修町の時分にはまだ両親や兄弟達へ気がねがあったけれども一戸の主(あるじ)となってからは潔癖と我(わ)が儘(まま)が募(つの)る一方で佐助の用事はますます煩多(はんた)を加えたのであるこれは鴫沢(しぎさわ)てる女の話でさすがに伝には記してないが...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
......
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...綿貫の知ってる人に道修町(どしょうまち)の薬屋の番頭(ばんと)さんあるのん幸い...
谷崎潤一郎 「卍(まんじ)」
...梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため...
古川緑波 「このたび大阪」
...「道修町」の台本の朱入れなどで...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」の大阪弁について二分ほど喋り...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」稽古つゞき...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」、何しろセリフに自信あり、気持よくやる...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...今やった「道修町」が先きでやりにくし...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」つきあひの方は投げて...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」ヒットのおかげもあるかも知れない...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」が一等に当選したといふニュース...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」以来、妙に催涙術を会得し、涙が出るのは不思議である...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...道修町(どしようまち)の會社に勤めてゐる三田さんといふ人ゐるだらう...
水上滝太郎 「大阪の宿」
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