...如何(いか)なれば明光(ひかり)を賜うや...
内村鑑三 「基督信徒のなぐさめ」
...汝の事業もし汝の心を神より遠ざくるあれば神はこの事業ちょう誘惑を汝より取除け賜うなり...
内村鑑三 「基督信徒のなぐさめ」
...神はその独子(ひとりご)を賜うほどに世の人を愛し給えりという事は...
内村鑑三 「ヨブ記講演」
...後に賜う栄化の契約の印として...
内村鑑三 「ヨブ記講演」
...明治二十三年教育勅語を下(くだ)し賜うに及んでや...
大隈重信 「国民教育の複本位」
...しかも完全に行き届いた恩恵を絶えず賜うために...
永井隆 「ロザリオの鎖」
...武帝の気に逆らって李陵(りりょう)を褒(ほ)め上げたときもまかりまちがえば死を賜うようなことになるかもしれぬくらいの懸念(けねん)は自分にもあったのである...
中島敦 「李陵」
...右の肩に賜うと云う字があるのを見落した上に後藤さんの名前が小(ち)さ過(す)ぎるのでつい失礼をしたのである...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...将軍足利義稙より偏諱(へんき)を賜うて稙宗と名乗り...
穂積陳重 「法窓夜話」
...帛(きぬ)十疋を賜うたとある...
南方熊楠 「十二支考」
...宋徽宗(きそう)がその馬に竜驤(りゅうじょう)将軍を賜うたなど支那にすこぶる例多いが...
南方熊楠 「十二支考」
...日本にも、源範頼(みなもとののりより)肥後の菊池の軍功を感じ、虎月毛を賜う、世々持ち伝え永禄年中まで存せり、その頃大友義鎮(よししげ)、武威九州に冠たり、菊池これと婚を結び、累世の宝物を出し贈る、この馬その一に居る、義鎮受けて筑後の坂東寺村に置き、田を給し人を附けて養う、後久留米秀包(くるめひでかね)、その辺を領し食田を増給せしに、文禄中五百歳で死す、郡民千余人葬いの行粧して、野に出で弔いし(『南海通記』二十一)、まずは馬中の神仙じゃ...
南方熊楠 「十二支考」
...大佐相当官の礼遇を賜う事になった...
夢野久作 「爆弾太平記」
...上に善言して上より死を賜うも恨まずということだぞ」二ぼくっ...
吉川英治 「三国志」
...策をさずけ賜うたのではないか...
吉川英治 「三国志」
...太刀や酒を賜うことなどあるが...
吉川英治 「私本太平記」
...酒を賜うことになった...
吉川英治 「新書太閤記」
...百四十七人に爵位(しゃくい)を賜うた記事もある...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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