...(『梅松論』にいう...
蜷川新 「天皇」
...行宮(あんぐう)にあてられた三明院(さんみょういん)は「梅松論」に...
吉川英治 「私本太平記」
...それと「伯耆巻」「船上記」「増鏡」「梅松論」すべてが...
吉川英治 「私本太平記」
...「梅松論」以下の書にも...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ「梅松論」の一節に...
吉川英治 「私本太平記」
...そのひどさは「梅松論」なども...
吉川英治 「私本太平記」
...「梅松論」の著者も...
吉川英治 「私本太平記」
...古典「太平記」「保暦間記(ほれきかんき)」「梅松論」の諸書はその理由を...
吉川英治 「私本太平記」
...だから「梅松論」や古典「太平記」も...
吉川英治 「私本太平記」
...僥倖といえば、海上での風向きも、その日は、尊氏に倖(さいわ)いしていて、「梅松論」には、お座(ざ)ふね辰(たつ)ノ刻(こく)(午前八時)に出さる俄に、西風吹きけり是(これ)はたつと云つて追手なりければ寅(とら)ノ刻(翌・午前四時)ばかりに室(むろ)ノ津(つ)へ御著(ごちやく)とあり、また...
吉川英治 「私本太平記」
...――これは「梅松論」の説だが...
吉川英治 「私本太平記」
...たちまち両議に別(わか)るとは「梅松論」が言っているところで...
吉川英治 「私本太平記」
...「梅松論」の筆者も...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ船立ちのしたくを急げよ」これらのことはすべて「梅松論」にある記述である...
吉川英治 「私本太平記」
...その景観の状は、「梅松論」に、艫(とも)、舳(みよし)、ともす篝火(かがり)は、浪を焼くかとぞ見えて赤しとあるその通りであったことだろう...
吉川英治 「私本太平記」
...それが誰々とも旗差物でもよくわからないが「……ここに御手分(おんてわけ)ありて」と誌(しる)す梅松論の一項(こう)には...
吉川英治 「私本太平記」
...北朝方の手に成った「梅松論(ばいしょうろん)」という一書もあり...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...「梅松論」には野津とみえ...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??