...(『梅松論』にいう...
蜷川新 「天皇」
...中興の政府は、天皇の政府なるを以て、万事様式を正うし、飾を要するものあり、故に官省新築せざる可らず、宮殿新設せざるべからず、是に随い、無用の土木盛に起り、官庫空乏、紙幣を発行するも償う能はずして、終に日本国総ての地頭、御家人の所得二十分の一を課して、之れに充るに至れり、其他武家の法制は、悉く廃絶せられ、武土の慣習は、皆な賤蔑せられ、政令朝夕に改まりしかば、貯産も頼むに足らず、勲功も訴ふるに処なくして、諸人安き思はなかりけり、(梅松論に曰く、今の例は、音の新儀なり、朕の新儀は、未来の先例たるべしとて、新なる勅裁漸ゝ聞えけり...
蜷川新 「天皇」
...行宮(あんぐう)にあてられた三明院(さんみょういん)は「梅松論」に...
吉川英治 「私本太平記」
...それと「伯耆巻」「船上記」「増鏡」「梅松論」すべてが...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ「梅松論」の一節に...
吉川英治 「私本太平記」
...そのひどさは「梅松論」なども...
吉川英治 「私本太平記」
...「梅松論」の著者も...
吉川英治 「私本太平記」
...「梅松論」がいう――当夜...
吉川英治 「私本太平記」
...古典太平記よりはややましな梅松論などの傍証を綜合して書いてゆくしかないことになる...
吉川英治 「私本太平記」
...だから「梅松論」や古典「太平記」も...
吉川英治 「私本太平記」
...僥倖といえば、海上での風向きも、その日は、尊氏に倖(さいわ)いしていて、「梅松論」には、お座(ざ)ふね辰(たつ)ノ刻(こく)(午前八時)に出さる俄に、西風吹きけり是(これ)はたつと云つて追手なりければ寅(とら)ノ刻(翌・午前四時)ばかりに室(むろ)ノ津(つ)へ御著(ごちやく)とあり、また...
吉川英治 「私本太平記」
...――これは「梅松論」の説だが...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ船立ちのしたくを急げよ」これらのことはすべて「梅松論」にある記述である...
吉川英治 「私本太平記」
...このとき将軍のお座船には錦のみ旗に日をゑがきて天照大神八幡大菩薩(だいぼさつ)と金文字に打ちたるを高く掲(かか)げられ……とは「梅松論」の記(しる)すところ...
吉川英治 「私本太平記」
...それが誰々とも旗差物でもよくわからないが「……ここに御手分(おんてわけ)ありて」と誌(しる)す梅松論の一項(こう)には...
吉川英治 「私本太平記」
...北朝方の手に成った「梅松論(ばいしょうろん)」という一書もあり...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...「梅松論」には野津とみえ...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...私は「増鏡」や「梅松論」の古典もそうたいして信用はしていない...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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