...それは兎に角として斯樣な歴史を持つ階級的宗教即ち儒教は周末に至つてようやく其宗教性を失ひ...
橘樸 「支那を識るの途」
...今一つは儒学や仏教の教養をうけたものが知らず知らずの間に馴致(じゅんち)せられた事大思想の現われでもあるので...
津田左右吉 「東洋文化、東洋思想、東洋史」
...漢学は儒学の一名であり漢学者は儒者であったといってもよいほどだからである...
津田左右吉 「日本に於ける支那学の使命」
...儒者はまた儒教の教としての権威を傷(きずつ)けるような事実には全く目をふさぐ...
津田左右吉 「日本に於ける支那学の使命」
...儒教道徳の教の如きは...
津田左右吉 「日本歴史の特性」
...真に教学としての神道に基礎をおいたものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・徳教・神教・大道・古道・帝道・という言葉はいつも古いが...
戸坂潤 「再び科学的精神について」
...儒教も仏教も、実際的には既に中国でも日本でも死んでいる...
豊島与志雄 「新たな世界主義」
...儒家たる點では共通する...
内藤湖南 「支那目録學」
...若し此の如く儒家が時代によつて...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...時に文林儒流の磊落(らいらく)を学び...
福沢諭吉 「日本男子論」
...佐川には儒者が多く出たので「佐川山分(さんぶん)学者あり」と人がよくいったものである...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
...春水が交遊する所の諸儒皆舌を巻きて其夙才(しゆくさい)を歎ぜり...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...学問をし儒学にはいれば老壮を敲(たた)くのは自然である...
山本周五郎 「初蕾」
...果たして李儒の言葉どおりであった...
吉川英治 「三国志」
...董卓は、樽の如く、地へ転げながら、いよいよ怒って、「李儒っ、そちまでが、予をささえて、不届きな匹夫を援(たす)けるかっ...
吉川英治 「三国志」
...芸州藩の一儒者の家から出て...
吉川英治 「梅※[#「風にょう+思」、第4水準2-92-36]の杖」
...その眼で、国史を観る……堪(たま)ったものか)(第一、いまの儒者中、将軍家をさして、国君と称したり、甚だしきは、大君(たいくん)などと書して、みだりに帝王に擬(ぎ)しておる輩(やから)がある...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...嫡子(ちゃくし)も嫡子、殿も殿かな――と、ふたりの儒臣は、ここにいたって、もう何をいう勇気も失っていた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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