...田中不二麿(ふじまろ)...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...薄田氏の古語を用ひたのは必ずしも柿本人麿以来の古典的情緒を歌つたからではない...
芥川龍之介 「人及び芸術家としての薄田泣菫氏」
...多治見三宅麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている...
日本経済新聞社 「私の履歴書」
...」安倍仲麿(あべのなかまろ)と高橋義雄氏7・1(夕)東京は赤坂一つ木の高橋義雄氏の邸(やしき)を...
薄田泣菫 「茶話」
...光琳(こうりん)歌麿(うたまろ)写楽(しゃらく)のごとき...
寺田寅彦 「映画時代」
...歌麿以前にありては春信湖龍斎春章(しゅんしょう)らいづれも扁平(へんぺい)にして丸顔の女を描きたり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...ふいに風が襲って人麿の妻恋う心をこなごなに吹き散らしてしまった...
永井隆 「ロザリオの鎖」
...香折と綾麿の祝言話が具体的に進み...
野村胡堂 「奇談クラブ〔戦後版〕」
...それを読めば龍麿の研究がどんなものであるかということがわかるのであります...
橋本進吉 「古代国語の音韻に就いて」
...柿本人麿の和歌を記念碑に刻んで来ることも一つの趣であろう...
宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
...それで秀麿が座を立った跡で...
森鴎外 「かのように」
...秀麿だって、ヘッケルのアントロポゲニイに連署して、それを自分の告白にしても好いとは思っていない...
森鴎外 「かのように」
...また歌麿(うたまろ)の版画の「上の息子」の身のこなし...
與謝野晶子 「晶子詩篇全集」
...其処(そこ)の日本部には凡(およ)そ十室に亘(わた)つて歌麿...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...十八公麿をのせて...
吉川英治 「親鸞」
...まだ、十八公麿が、乳もふくまないうちから、あやしたり、負ったり、抱いたりしていた介としては、たまらない感情がこみあげていたに違いない...
吉川英治 「親鸞」
...性善坊が、「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、朝麿は、「では、叡山(えいざん)へ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった...
吉川英治 「親鸞」
...当然、清麿にも、疑いがかかった...
吉川英治 「山浦清麿」
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