......
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...それにつけてもゆふべは秋と何思ひけむと後鳥羽院が仰っしゃったようにもしこのゆうぐれが春であってあのおっとりとした山の麓(ふもと)にくれないの霞(かすみ)がたなびき...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...人口に普(あまね)くなった上右の慶雅法橋が御室(鳥羽院第五の皇子覚性法親王(かくしょうほうしんのう))の御前で...
中里介山 「法然行伝」
...後鳥羽院の寵臣であったが...
中里介山 「法然行伝」
...建永元年十二月九日のこと後鳥羽院が熊野へ行幸のことがあった...
中里介山 「法然行伝」
...後鳥羽院遷幸の後...
中里介山 「法然行伝」
...鳥羽院の皇后が難阿含経を手写し...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...荻の葉を吹き棄てて行く風の音に心乱るゝ秋の夕暮 後鳥羽院のは一段とすぐれてゐる...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...定家卿の『建仁元年後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す...
南方熊楠 「十二支考」
...ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方(おんかた)ほどな達人は先ずあるまいと下々(しもじも)の評でございまする」禅閤兼実(かねざね)はうなずいて...
吉川英治 「親鸞」
...後鳥羽院と仰せられる御方は...
吉川英治 「親鸞」
...――その後鳥羽院はまた...
吉川英治 「親鸞」
...後鳥羽院のお心にそういう深いお考えがあることは...
吉川英治 「親鸞」
...後鳥羽院より格別な寵遇(ちょうぐう)を賜うた義経公とは復従兄弟(またいとこ)の間がらじゃ...
吉川英治 「親鸞」
...仙洞(せんとう)の後鳥羽院は...
吉川英治 「親鸞」
...後の西行法師)――などみな鳥羽院北面の武者...
吉川英治 「随筆 新平家」
...鳥羽院の承久元年...
吉川英治 「随筆 新平家」
便利!手書き漢字入力検索