...右後鳥羽院葉をしげみ洩る隙もなし秋の夜の月おぼろなる足柄の山左 勝法印慶運足柄の山たちかくす霧の上にひとりはれたる富士の白雪秋月のおぼろに...
大町桂月 「足柄の山水」
...一は後鳥羽院の御製を刻し...
大町桂月 「白河の關」
...それでいて関西の地理に通じないころは何処か京都の郊外であるらしくかんがえながらはっきりところをつきとめようという気もなかったのであるがその御殿の遺跡は山城(やましろ)と摂津(せっつ)のくにざかいにちかい山崎の駅から十何丁かの淀川(よどがわ)のへりにあって今もそのあとに後鳥羽院を祭った神社が建っていることを知ったのはごく最近なのである...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...でも後鳥羽院の御殿というのはこれだけの狭い面積のなかにあったのではなく...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...其内鳥羽院より伏見院までは信實の曾孫なる爲信卿の筆と傳へられ...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...人口に普(あまね)くなった上右の慶雅法橋が御室(鳥羽院第五の皇子覚性法親王(かくしょうほうしんのう))の御前で...
中里介山 「法然行伝」
...後鳥羽院の寵臣であったが...
中里介山 「法然行伝」
...病気危急の時に後鳥羽院が忍んで御幸があったそうであるが...
中里介山 「法然行伝」
...定家卿の『建仁元年後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す...
南方熊楠 「十二支考」
...出立(でたち)王子は定家卿の『後鳥羽院熊野御幸記』にも見るごとく...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...後鳥羽院(ごとばのいん)を隠岐(おき)へ...
吉川英治 「私本太平記」
...後鳥羽院(ごとばいん)の武者所に勤番し...
吉川英治 「私本太平記」
...後鳥羽院と仰せられる御方は...
吉川英治 「親鸞」
...――その後鳥羽院はまた...
吉川英治 「親鸞」
...仙洞(せんとう)の後鳥羽院は...
吉川英治 「親鸞」
...後の西行法師)――などみな鳥羽院北面の武者...
吉川英治 「随筆 新平家」
...鳥羽院の承久元年...
吉川英治 「随筆 新平家」
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