...それにこの運動中は特に親しく田中正造翁の驥尾に付して奔走することになつたので...
石川三四郎 「浪」
...蹉跌(さてつ)苦吟自己の驥足(きそく)を伸ばし能(あた)はざることもあるべし...
石橋忍月 「罪過論」
...「その時が日本の驥足(きそく)を伸ぶべき時...
内田魯庵 「二葉亭追録」
...他藩の驥尾に附して進退しただけの事ではなかつたか...
太宰治 「津軽」
...以上偶然読書中に見つけたから安倍君の驥尾(きび)に付して備忘のために誌(しる)しておくことにした...
寺田寅彦 「柿の種」
...決してその驥足(きそく)を伸ばすの余地は存せざるなり...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...何(いずれ)の地に向ってその驥足(きそく)を伸べんとする...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...処が何と思ったか政友会総裁までがその驥尾に付して...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...十二分の驥足(きそく)をのばすことができるのだから...
中里介山 「大菩薩峠」
...支那の名馬は、周穆王(ぼくおう)の八駿、その名は赤驥、盗驪、白義、踰輪、山子、渠黄、華※、緑耳で、漢文帝の九逸は、浮雲、赤電、絶群、逸驃、紫燕、緑、竜子、駒、絶塵だ、前者は毛色、後者は動作を主に名の因とした...
南方熊楠 「十二支考」
...「則其尋名勝、訪故迹、問奇石、看異木、唯良佐之尾是視、則良佐固驥、而余之為※也再矣」と云ふのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...河崎に驥※(きばう)日記の著があつたことは既に言つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...わたくしは此に由つて驥※日記のいかなる書なるかを知つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...雖二篤學一附二驥尾一而行益顯...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...功名また驥尾(きび)に付す...
山本周五郎 「新潮記」
...南北いずれへも驥足(きそく)を伸ばすことができないように考えられますが……しかしです……唯ここにまだ両者の勢力のいずれにも属していない所があります...
吉川英治 「三国志」
...信長がこの地方に驥足(きそく)をのばしてきた頃には...
吉川英治 「新書太閤記」
...時人は滔々(とうとう)この人の驥尾(きび)に付し...
吉川英治 「新書太閤記」
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