...平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に、寿永より元暦に、天暦より文治に、円石を万仞の峰頭より転ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...京師を発せむとするの前夜(養和元年閏二月一日)天乎命乎...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...天下を麾いで既にルビコンを渡れる彼は、養和元年六月、越後の住人、城四郎長茂が率ゐる六万の平軍と、横田川を隔てて相対しぬ...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...養和(やうわ)の秋...
高山樗牛 「瀧口入道」
...養和と変わっておりまして...
吉川英治 「親鸞聖人について」
...水鳥でなく治承四年から養和へかけての飢饉である」と科学的な気象統計を玉葉から引いて傍証としている...
吉川英治 「随筆 新平家」
...そして養和、寿永の飢饉の状を書いたあの一章を噛(か)みしめてみると、平家を仆(たお)したのは、数年にわたる悪天候と全国の飢饉であったといえなくもない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...養和元年の閏(うるう)二月...
吉川英治 「源頼朝」
...養和と改元された日であった...
吉川英治 「源頼朝」
...養和の年号は、一年で更(か)わったので、寿永二年になる...
吉川英治 「源頼朝」
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