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...この和卿といふお方は、その当時こそひどく落ちぶれて居られたやうでございましたが、以前はなかなか有名な唐人だつたさうで、人の話に依りますと、その建保四年から数へて約二十年むかし、建久六年三月、故右大将家再度の御上洛の折、東大寺の大仏殿に御参りになつて、たまたま宋朝の来客、陳和卿の噂をお聞きになり、その陳和卿が総指揮をして鋳造したといふ盧舎那仏の修飾のさまを拝するに、まことに噂にたがはぬ天晴れの名工、ただの人間ではない、と御感なされて、重源上人をお使として、和卿をお招きになりましたところが、和卿は失礼にも、将軍多く人命を断ち、罪業深重なり、謁に及ばざる由、御返答申し上げ、故右大将家はお使の上人からその無礼の返辞を聞き、お怒りになるどころか、いよいよ和卿に御傾倒なされた御様子で、奥州征伐の時に著け給ひし所の甲冑、ならびに鞍馬三疋金銀など、おびただしくお贈りになられ、けれども和卿は一向にありがたがらず、甲冑は熔かして伽藍造営の釘と為し、その他のものは、領納する能はず、と申して悉く御返却に及んだとか、これほど驕慢の陳和卿も寄る年波には勝てず、鋳造の腕もおとろへ、またことさらに孤高を衒ひ、ときどき突飛な振舞ひをして凡庸の人間に非ざる所以を誇示したがる傾きもあり、またそのやうな人にありがちな嫉妬の情にも富んでゐた様子で、次第に周囲の者から疎んぜられ、つひには東大寺から追放されて失意の流浪生活にはひり、建保四年六月、まるで乞食のやうな姿で鎌倉へあらはれ、往年の気概はどこへやら、あの罪業深重とやらの故右大将家の御実子を御仏の再誕と称してその御温顔をひとめ拝したいと歎願に及んだとか、私どもには、名人気取りの職人が、威勢のいい時には客の註文も鼻であしらひ、それもまた商策の狡猾な一手段で、故右大将家のやうにいよいよ傾倒なさるお方もあり、註文がぱつたり無くなると、もともと身振りだけの潔癖ゆゑ、たちまち愚痴つぽくなつて客に泣きつくといふ事はままある例でございますし、その時の陳和卿の言行も、すべて見え透いた卑屈な商策としか思はれませんでしたけれども、将軍家にとつては、何せ、御仏の再誕といふ一事のために、おのづから、かの厩戸の皇子さまの御事などもお思ひ合せになられるらしく、どこやら気になる御様子で、十五日に御ところへお召しになりましたが、陳和卿もなかなかのお人で、将軍家のお顔をひとめ仰ぎ見て、大声挙げて泣いておしまひになりました...
太宰治 「右大臣実朝」
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