...韓蘇紫兼(かんそしけん)の筆恐くは田夫野老の舌に及ばざらん...
宇田川文海 「松の操美人の生埋」
...我先民が三韓を失して李唐の手に奪はれたるものは之が爲め也...
竹越三叉 「深憂大患」
...群小を包容する韓魏公に類し...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...實に韓國皇帝其の人の陰謀好きなるに在り...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...韓非子のは、その體裁が揃はず、本を校正した記事が缺け、最後の學問の系統を論じた處も缺けて、傳記のみであるので、確かに劉向の作つたものかどうか疑はしい...
内藤湖南 「支那目録學」
...王遣レ使詣二京都、帶方郡、諸韓國一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...三國志馬韓の條にも支侵...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...即ち今の韓國の忠清...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...漢土(かんど)には白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡(とうば)が望湖楼酔書を始め唐(とう)韓(かんあく)が夏夜雨(かやのあめ)...
永井荷風 「夕立」
...この韓嬰であるが...
中谷宇吉郎 「百科事典美談」
......
三好達治 「短歌集 日まはり」
...――また、孫堅がうしろには程普、黄蓋、韓当などの輩が、「主人の大事」と、ばかり各、剣環(けんかん)を鳴らしてざわめき立った...
吉川英治 「三国志」
...なにも韓馥などに借米はしたくないが...
吉川英治 「三国志」
...太守韓馥(かんふく)以下...
吉川英治 「三国志」
...張虎を扶(たす)けて韓当を挟(はさ)み撃ちに苦しめた...
吉川英治 「三国志」
...韓猛(かんもう)というものが奉行となって...
吉川英治 「三国志」
...韓当は、鏃(やじり)を掘り出し、旗を裂いて瘡口(きずぐち)をつつみ、早速、後方に送った...
吉川英治 「三国志」
...この韓遂が起ったのは...
吉川英治 「三国志」
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