...また韓信の場合にしても...
太宰治 「親友交歓」
...韓國問題は政治上に於ては既に解決せられたりと雖も...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...韓方明と云ふ人に就いて...
内藤湖南 「弘法大師の文藝」
...韓退之などからしてさうであるやうに...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...倭在二韓東南大海中一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...三國志馬韓の條にも支侵...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...賤岳(しずがたけ)に始まり征韓に至る大小百余戦...
南方熊楠 「十二支考」
...韓愈の文で名高い(わに)など...
南方熊楠 「十二支考」
...竹窓夜静にして韓非(かんぴ)を読むというのであった...
森鴎外 「ヰタ・セクスアリス」
...○『東国輿地(よち)勝覧』によれば韓国にても壇(れいだん)を必ず城の北方に作ること見ゆ...
柳田国男 「遠野物語」
...孫仲(そんちゅう)・韓忠(かんちゅう)・趙弘(ちょうこう)の三賊将がたて籠っていた...
吉川英治 「三国志」
...――曹操は必ず、自分たち一族の勲功を第一にして、おれたちの存在などは認めないかも知れぬ」「いや、認めまいよ」楊奉は、韓暹に、なにやら耳打ちして、顔色をうかがった...
吉川英治 「三国志」
...再度韓胤(かんいん)を使者として...
吉川英治 「三国志」
...韓胤(かんいん)であった...
吉川英治 「三国志」
...「今夕、またも、曹操の使いらしい男が、韓遂の営内へ、書簡を届けて立ち去りましたが?」腹心の者から、こう報らせがあったので、馬超は、「果たして!」と、自分の猜疑(さいぎ)を裏書きされたものの如く、夜食もとらぬまに、ぷいと出て、韓遂の陣門を叩いた...
吉川英治 「三国志」
...おひとりで」韓遂は...
吉川英治 「三国志」
...物陰にいた馬超は激怒して、韓遂が帰るや否、彼を成敗すると猛(たけ)ったが、旗本たちに抱き止められて、悶々(もんもん)と一時剣をおさめた...
吉川英治 「三国志」
...この韓遂が起ったのは...
吉川英治 「三国志」
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