...自分が手をとって習わせた難波津(なにわづ)の歌...
芥川龍之介 「忠義」
...その孃子(をとめ)の難波津に泊(は)てたるを見て...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...太子のオホサザキの命がその孃子の難波津に船つきしているのを御覽になつて...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
......
武田祐吉 「古事記」
...けだしこのあたりは難波津(なにわづ)の昔からある丘陵(きゅうりょう)地帯で西向きの高台がここからずっと天王寺(てんのうじ)の方へ続いている...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...上月景光主(こうづきかげみつぬし)のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御(み)さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行(ゆけ)すめらぎの稀(まれ)の行幸(いでまし)御供(みとも)する君のさきはひ我もよろこぶ天使のはろばろ下りたまへりける...
正岡子規 「曙覧の歌」
...まだ手習いの難波津(なにわづ)の歌さえも続けて書けない子供でございますから失礼をお許しくださいませ...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...難波津(なにはづ)に蕨村(けつそん)居士といふものありて...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...澪標の語は『延喜式』に難波津(なにわづ)の頭(ほとり)...
柳田國男 「地名の研究」
...「八雲立」「難波津」の歌猶之を誦して...
山路愛山 「詩人論」
...難波津(なにわつ)のむかしのまま...
吉川英治 「新書太閤記」
...だが――京から難波津(なにわづ)――四天王寺から河内路と...
吉川英治 「親鸞」
...難波津(なにわづ)から瀬戸の海につづく南海方面のほうが...
吉川英治 「平の将門」
...その頃の難波津(なにわのつ)から渡辺橋(わたなべばし)のあたりまでよせて来たのが十一月の末...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...文答師は難波津(なにわづ)に着いてこの由を官を経て奏上した...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
便利!手書き漢字入力検索