...「東北の雄藩の責任を感じて...
太宰治 「惜別」
...当時の公卿が、各雄藩から、または浪士らから、ワイロをとり、政争者を手玉にとつていたことは、明治の初年には、世に知られていた事実である...
蜷川新 「天皇」
...公卿と雄藩の策士とが...
蜷川新 「天皇」
...勤王の雄藩といわれていた水戸藩のなかには...
蜷川新 「天皇」
...反対派諸雄藩主もほとんど抑止して動かず...
服部之総 「志士と経済」
...そして何よりもそれによりて水戸と薩摩以下の雄藩ブロックの形成に資したことなど...
服部之総 「尊攘戦略史」
...慶喜擁立ブロックが独自化して雄藩ブロックとなったためである...
服部之総 「尊攘戦略史」
...すでに密勅そのものの範囲が水戸継嗣ブロック以上に出て雄藩おしなべて十三藩にわたり...
服部之総 「尊攘戦略史」
...雄藩ブロックの盟主島津三郎一行は使命を果しての帰途生麦(なまむぎ)に英人を斬って攘夷実行の先頭をきったが...
服部之総 「尊攘戦略史」
...薩州はあの雄藩で...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...雄藩連合等の遠大なお考えがあるのかも知れません...
三好十郎 「斬られの仙太」
...薩摩の三雄藩は邪魔だ...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...西国の経済力と、雄藩の背景と、そして海路や島々の地の利を持っているからである...
吉川英治 「大岡越前」
...たしかに群を抜いた一方の雄藩であった...
吉川英治 「三国志」
...呉(ご)と越(えつ)と、二つの雄藩が、かなたの国では、両々覇(は)を争ッて、併呑(へいどん)をうかがい合い、倶(トモ)ニ天ヲ戴(イタダ)カズ、とまで争っていた...
吉川英治 「私本太平記」
...西海の雄藩毛利とはおのずから質がちがう...
吉川英治 「新書太閤記」
...父子両方で二十二万石の雄藩をなしているが...
吉川英治 「新書太閤記」
...諸国の雄藩も、決して現状に甘んじてはいない...
吉川英治 「柳生月影抄」
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